『摂動の回避』

イラスト 古賀ヤスノリ Yasunori Koga

 摂動とは小さな惑星が大きな惑星の引力の影響を受けて運動が乱される現象をいいます。天体の場合は質量差が大きいと、小さいほうは摂動を受けます。この摂動は実際に押して影響を与えることと違うのがポイントです。これは物理学の話ですが、心理的にも同じ現象があります。そもそも離れたもの同士の「影響」とは平行関係では発生せず、つねにそこには大小差(サイズ比)があります。そしてもう一つは距離です。いくら大きい天体でも離れていればその引力に巻き込まれることはありません。
 小さな天体の運行にとって大きな天体は危険な存在になりえる。そもそも惑星の誕生が、中心にできた引力が周囲の隕石を取り込んで、質量をあげていくプロセスをたどります。大きくなった天体は強力な引力をもちさらに周囲を取り込む。つまりその大きさは外部をからめ取ってできたものです。人間の世界では成功者にみえる証が「数」と思われている所と似ています。損得判断で動く人は、それに引き寄せられます。しかし確実に摂動に巻き込まれる。
 摂動に巻き込まれると大きな天体の一部になります。この状態は自己逃避的な人には安心と誤認され、「精神的搾取」の構造ができます。摂動を利用する者がいる反面、自己放棄として摂動に身を任せる人もいる。もちろん摂動に抗う人もいます。たとえばアニメがヒットした漫画の原作者が、アニメの完成度から相対化を受けそれに耐える。摂動をうけるとバランスを崩し連載休業に追い込まれます。この摂動と搾取の構造を回避し、より適切な摂動の相互作用を作ることが望ましい。巨大で良質な引力が影響を与えつつも、小惑星を拘束しない関係(支配のない引力)が保てるなら、小惑星は摂動の力を借りて強力な力を宿すようになるのです。

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『意味のある時間』

イラスト 古賀ヤスノリ Yasunori Koga

 テクノロジーの急速な発達によって便利になった反面、それまで必要だったものが無くなってしまう、ということがしばしば起こります。たとえば、携帯電話の発達でダイアル式の黒い電話は消滅し、デジタルカメラの普及によりフィルムが消滅、スマホの発達により紙で広げる地図も消えました。デザインの世界ではフォントの普及により手書きで描くレタリングというジャンルが消えました。これらはすべて便利になり時間の節約にもなるので良いことばかりです。しかし本当に良い事ばかりなのでしょうか。
 たとえば、昔の電話は指でダイヤルを回し、ダイヤルが戻ってきてからまた回すという面倒な手順が必要でした。しかしその行為は「離れた人」(他者)と対話するための儀式のようなもので、そこには無意識において心の準備であれ繋がることの価値であれ、いろんな意味が発酵する時間になていた。これは写真のフィルムに現像する時間が必要であることも同じく「待つ時間」に期待や意味が増幅されました。またスマホのナビにより、道に迷うことで世界(風景)を分析し、偶然の出会に感謝する機会もなくなった。
 テクノロジーの発達によって合理化された時間や労力によって、人は開放されたことは間違いありません。しかしそれまでなにげに自己を支えていた「意味のある時間」や労力が消滅しました。それらは「空白の時間」であり数量化できないので見落とされがちです。AIが登場してその傾向が限界の状態にきているいま、失っているものに目を向ける必要があります。「意味のある時間」でしか心の発酵や化学反応が起きない領域がある。この世界観を大事にすることで、はじめて日常世界が安定的に支えられるのです。

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『専門家について』

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 専門家には二つのタイプがあります。一つは専門対象を把握するために、あらゆる分野の知識を借り、全体を形づくる専門家です。各分野のパイオニアがこれにあたります。例えば「精神分析学」を、あらゆる知識によって明確に示したフロイトはその典型です。もう一つの専門家は、専門領域はすでに体系化されており、その内部で整理された知識を学び、その分野にだけ精通した専門家。これは一般的なイメージの専門家です。
 この二つの専門家は、同じ専門家でも立ち位置が違います。前者は建物を建てる時の外側につくる「足し場」に立っている。専門対象を外からいろんな視点で把握して建てていく。それに対して後者は建物の中にいて、中から建物を理解していく。足場の利点は、対象を外からみるので全体が変化していてもよくわかります。つまり境界線がハッキリ捕まえられる。それに対して中からだと、細部がよく見える反面、近すぎて全体が把握しづらく変化にも気付きにくい。さらに他のジャンルのことも分からなくなる。物事が形骸化したり独善的になったりするのはこの内部においてです。
 そもそもあらゆる専門体系は、はじめ外部の足場より作られます。外から作られた専門領域は時間とともに体系化され、内部で理解しやすいものになる。よってそれをただ記憶するだけなら内部で十分でしょう。しかしその専門領域を「生きた外部世界」に有効利用するには、外と内の境界線を知り尽くしておく必要があります。それは多様なジャンルの境界線と、専門領域の境界線が重なる部分です。この多元的で複雑な境界線を熟知し続けることが、真の意味でのアクチュアルな専門家だと言えるのです。

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『絵の手順について』

イラスト 古賀ヤスノリ Yasunori Koga

 絵をスムーズに発展させる。植物が自然に枝葉を伸ばすように、順を追って段階的に発展させていく。よってそれには「適切な順序」があります。そして人間がやることなので「心理的な適切さ」とも重なっています。その手順を簡単にいうと、「自分を知り、次に他との比較や咀嚼をしていく」(もちろんこの先もあります)。という流れです。この順序をまもらないと、成長は停滞し、あらゆる問題とともに目的が難航します。
 まず「自分を知る」とは絵でいえば「自分の絵柄を知る」ということです。これは一般には、いろんな人のマネをして作っていくと思われています。もちろん入り口としては良いでしょう。しかし純度100%自分という表現は、他者が入り込まないものです。空のグラスにすべて自分が入っていなければなりません。もし他人の影響をうけても、それを完全に消化しきる(自分にする)必要があります。最初は消化力がないのでそれは難しい。よってまずは、純粋な自分だけを頼りに描いていく。それには排除すべきポイント(長くなるのでここでは触れませんが)がたくさんあります。
 そうしてできた自分のスタイルは、純粋な自分と呼べるものです。この状態は生まれたての状態で強度はありません。しかし心理的に最も重要な基盤であり宝です。そこをないがしろにして人マネばかりやると不安定になります(他のスタイルへの依存は、不安定な自己を作る)。この重要な自己表現と呼べるスタイルを基にすることで、多様なスタイルとの「比較や咀嚼」が健全な形でできるようになる。胃もたれや嘔吐もないし、自己を乗っ取られる(見失う)こともない。つまり確固とした自己を形成しなければ、他者は存在しないということです。この言い回しは哲学的で分かりにくいところもありますが、絵と哲学と心理学が根本的に重なるところが一番重要であることは、いうまでもありません。この順序をしっかり守ることができれば、どんな芽でも必ず開花するのです。

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『アリクイについて』

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 アリクイという蟻を主食とするかわった生き物がいます。特に大アリクイは全長2メートルにもなるので、その奇妙な存在感はインパクトがあります。最大の特徴は、蟻を食べるために進化した長細いホースのような口と、蟻塚を破壊するための大きな爪です。さらに箒のような大きな尻尾もある。全体としては、掃除機のような何かを吸い取り中にためる装置といった雰囲気。この形はハッキリいって他の事にはまったく使えない。そこがアリクイたる所以であり最大の魅力でしょう。
 アリクイの蟻塚を破壊するための爪は、武器としては多少は使えども、むしろデメリットの塊といった感じです。蟻のために細くなった口もそうですが、他の可能性を完全に断っています。この潔さと運命を受け入れ切った存在のあり方が、他では形容のできない“アリクイ”としか言いようのない固性を放っています。このような逃げ道のない状態を受け入れた佇まいから、わたしたち現代人の生き方に、少なからず戒めのメッセージを読み取ることもできます。
 現代はテクノロジーの発達によって、選択肢が無限に増えたかに思えます。検索すれば解決法も沢山でてきます。この底なしの環境は、便利な反面、アリクイのような「自分という存在の受けれ」と「運命にたいする潔さ」にとって逆方向の環境です。我がままが永遠に許されれば、それはカオスへと行き着きます。アリクイの一見して奇妙な形態は、「我こうであるがゆえに我あり」という実存的な受け入れを表現している。退路を断ったこの「ありさま」が本物の個性というものなのでしょう。

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