『直感的な予測』

イラスト 古賀ヤスノリ Yasunori Koga

 よく気象予報などで、観測史上初の出来事などという表現が使われます。つまり「まれに見る出来事」ということです。しかしその観測記録が10年間のデータだったとして、これを100年間のデータに伸ばすと「頻繁に起こる出来事」に過ぎなかった、ということがしばしば起こります。これは短期的な結果と長期的な結果の価値づけに大きな違いが出ることを示しています。つまり逆の結論に至っているということです。
 こういったことは、偶然の余地を多く含む気象学や経済学の分野でよく起こると言われています。偶然の余地が入りやすい世界の結果は、短期と長期では反転しやすいということです。ならば人生というほとんど「偶然の連続」で成り立っているような世界では、短期と長期の「価値反転の法則」が大きく横たわっている。極端にいえば短期的に良いと判断したものが、長期的には悪い結果となってしまう。
 例えば、ここ30年で社会的に良しとされ、多数が認めた舵取りによって社会は大きく傾きました。この事実はまさに統計学的な逆説を示しています。微分方程式において安全な選択が、長期的な不安定をもたらした。数学者のポアンカレによれば、プロセスを省いて直接未来のゴールに至る能力が「直感」であると言っています。「逆説的な未来を見抜く力」は数学自体にはなく、ポアンカレがいう「直感」が必要になってきます。この「直感」を教育において根本的に鍛えなおすことが、これからの「社会の立て直し」にとって必要不可欠になる。それはほぼ間違いないことなのです。

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『認知衛生学?』

イラスト 古賀ヤスノリ Yasunori Koga

 「認知衛生学」とは私が作った造語で、「情報の真偽を正しく判断する」ための新しい視点です。たとえば、「そのままでいいよ」(あなたは悪くない)と言われた時に、「ありがとう」と返事をして、良かったと思うとします。これが通常のコミュニケーションです。しかしもし、相手がこちらのレベルを落とそうとして、本当はもっと頑張った方がいいのに「そのままでいいよ」と言ったとすればどうでしょうか。この場合は「そのままでいいよ」は表向きの情報であり、裏には低レベルへ押し込んで前進させないでおこう、という目的が隠されています。
 表向きと裏とで意味が違う。つまり「意味の二重構造」があり、しかも表と裏は逆向きになっています。この状態をダブルバインド(二重拘束)と言います。このダブルバインド状態に長い間さらされると子供は統合失調症になると言われています。こういったダブルバインド情報は、本音と建前が常態化している企業の広告から、政治家や親の発言、詐欺師の誘いやSNSにいたるまで、いまや蔓延しています。よって表面だけの解釈をするのは危険だといえます。
 「そのままでいいよ」(あなたは悪くない)と言われたとき、「なぜ相手はそう言っているのか」という視点をまず最初にもつ必要があります。その「分析の視点」には、相手がどういう性質の人なのか、相手と自分はどういう関係にあるのか、あるいはまともに受け取ったら自分は「どういう影響を受ける」のか、といった沢山の情報との照合が必要になります。現代の分裂した情報社会では、この文脈照合なしに情報を受け取ると、ほぼ裏の情報に支配されることになります。この裏にある「隠された情報」を直感的に判断できる「情報の免疫システム」をつくる必要がある。「認知衛生学」はこの免疫システムを多面的に研究し実践していく視点なのです。

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『意図した制作』

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 絵には意図的に描かれたものと、結果的にそうなってしまったものと、二つがあります。前者は描く前からある程度の結果をさきに決定し、おおむねコントロールの範囲内で作品を作ります。それに対して後者は、最初の青写真があるとしても、描いているうちに計画とは違うプロセスができ、最後は思っても見ない作品ができる。結果だけ見れば、二つは同じ「作品」と呼べるものですが、制作過程で「描き手の中に起こっていること」がまったくちがいます。
 これはツアー旅行などで最初から全てが決まっていて、始まる前から予想がつく旅と、現地に行ってからその感触で行く場所を決めていく旅との違いです。ツアーは安心を得ることができる反面、冒険の余地がありません。余白や別の枝分かれを閉じられています。それに対して、現地での判断は、不安定な分、自由と冒険が保障され、意外性の余地がふんだんにあります。
 事前の計画によって得られる安心は、冒険や意外性を引き換えにしている。絵の制作の場合だと、計画と引き換えにするのは、進化に必要な突然変異を促す「偶然」です。逆に無計画で得られる自由や冒険と引き換えするのは、安定や安心です。生物の成長や物事の現状維持が「進化し続けること」でなされることを考えると、計画だけに閉じこもるのは危険だともいえます。安心や安全を基盤としつつも、そこに「自由」と「冒険」を組み込むことが「真の意味での安定」である。それは森羅万象がはっきりと示しているとこなのです。

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『二つの変化』

イラスト 古賀ヤスノリ Yasunori Koga

 変化を許容すること。この大切さは今さら言うまでもありません。文明が変化を拒んでいたら、私たちはいつまでも石器や土器を使っていたかもしれません。また子供のまま精神が変化しなければ、ただの幼稚な大人になってしまいます。変化は進化や発展の基盤であり、動物や植物にみられるように、生命維持そのものと言ってよいものです。
 しかし変化が生命や発展を阻害することもあります。たとえば前進すべき時に逃げるのは「悪い変化」です。自己や現実からの逃避もまっとうな方向からの「悪い変化」です。このように変化には「良い変化」と「悪い変化」があります。「良い変化」は現実的に進化や発展、生命や精神の維持に欠かせないものです。それに対して「悪い変化」は、進化や発展を阻害し、精神や生命を脅かすものです。
 人はときに疲れ、傷つき、臆病になることもあります。そんな時には「現実逃避」をしたくなる。現実へ戻れる程度なら問題はありません。しかし戻れなくなる「悪い変化」に依存すると問題が起こります。また世の中には、そういった傷ついた人の「逃避願望」を利用して、これを信じれば絶対に変われる、と「悪い変化」に依存させようとする人たちもいます。現実的な問題への対処が困難な人ほど、そういった口車に乗せられやすい。しかし現実は、何かをただ信じたり従ったりするだけで(お手軽な方法で)、自分自身が進化発展を獲得できることはありません。
 心が弱り絶対的なものを信じやすくなった時に、「悪い変化」を前進だと錯覚させる人たちが出てくる。これさえ守っていれば絶対に助かるといった「絶対」や「救済」の雰囲気、あるいは「成功体験の連呼」などはまさに逃避傾向の人を刺激する要素です。しかしそれらには論理的な正しさ(ウラ)もなく、直感的、美的にも怪しいものです。そういったものに自分を救済する絶対的な力があると思うとき、それは自己を捨てて「お手軽な変化」(妄想)にすがりついている時です。むしろ本当の「良い変化」とは自己や現実からの逃避(悪い変化)ではなく、現実や自己の受け入れからしか発生しません。この意味で、「悪性の変化」を退け、自己を健全に発展させるためには、「自分を信じる強さ」を獲得する以外に方法はないのです。

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『有機的共同体』

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 「類は友を呼ぶ」という言葉があるように、人は同じ趣味や考えの人たちと同質の集まりをつくります。同質傾向の集団は安定するので当然だと言えます。しかしあまりに同質すぎると、個々の違いが溶けてしまい、一つの水溜まりのようになります。またこの安定は、外部からの異質を受け付けないことで維持されるので、発展の要素に乏しい側面をもっています。
 よく海外に長期滞在したひとが、日本人の集まりにばかり顔を出し、その国の人たちと接点を持たない人がいます。この例は、同質傾向の「保守的なデメリット」が、わかりやすい形で現れています。これに対して、全く違った傾向の人たちとの集まりが、安定した形で存在できればどうか。お互いに影響を与え合い、相乗効果と相補性により掛け算的な発展があります。しかも水溜りにはならない。
 異質なもの同士を安定させるには、同質傾向の集まりよりも、はるかに高度な指標を必要とします。それには個々が集団に依存せずに、各自がソロでやれることが前提条件です。さらに即興的な協力関係にも対応できる。言うなれば個々の役割が固定化されたクラシックに対して、それぞれがソロプレイヤーでありテーマにはいると即興的に全体に参加するジャズのような「有機的共同体」です。異質傾向の共同体は、個性が溶けることなく全体と関係をもてる、高次元の共同体なのです。

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