『新しいアイデンティティ』

イラスト 古賀ヤスノリ Yasunori Koga

 アイデンティティとは発達心理学者エリクソンの言葉で、自己が社会的な役割や外部との関係において作られる安定状態を指します。これはつまり自己単独でのあり方ではなく、社会との関係的な安定を意味しています。この意味では人間関係もアイデンティティに関わっているし仕事や趣味なども関わっている。よって関係先である環境が変化するとアイデンティティが揺らぐということも起こってきます。
 例えば社会の価値観が大きく変わることでアイデンティティが揺らぐ。それまで一つの会社で長く働くことが美徳とされてきた価値観が、働き方の多様性で激変しました。あるいはネットの発達で暗記科目に時間をさく意味が窮地に追い込まれています。またデジタルで作り出す絵やデザインがAIで瞬時に作り出され、制作者はこれまでの意味を問われています。このような変化はアイデンティティを揺るがす要因となります。
 アイデンティティを形成していた環境が変化したとき、その変化に適応できれば新たなバランスを獲得できます。そのためには「自分が変わる」必要がある。もし過去のアイデンティティに固執していれば変われず、不安定化に入ります。この変化への適応に大切なことは「意味的な適応」です。これまでの意味とこれからの意味を考える。それが理解に達した時に進化(変化)を自らに許すことができる。これは言葉による知的理解です。自己の価値観の揺らぎは進化の前触れであり、それを意味的に理解することで、新しいアイデンティティは獲得されていくのです。

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『予定調和について』

イラスト 古賀ヤスノリ Yasunori Koga

 予定調和とは予測の範囲内から出ない世界観を示す言葉です。つまり「ああすればこうなる」という予測できる世界観。別の言い方でいえば、原因と結果を繋げる考え方(決定論)です。この予定調和の世界観にある程度依存することで、人は安心して日々の生活を送ることが出来ます。
 しかしこの予定調和の世界観は、偶然に発生するものや、長期的に現れるものを排除することで成立した世界観です。よって予定調和に依存し過ぎると、突発的な問題に対応できないし、またそうであるがゆえに、偶然や理解不能なものへの拒絶反応も起こります。つまり予定調和の世界への安心の裏には不安の抑圧がある。
 フロイトは抑えつけたものは必ず浮上してくると言っています。予定調和の世界を維持するために必要な不安の抑圧は、必ず決壊を破られる。最近のマンガやアニメに、ただの悪者ではない「うかがい知れない怪物」が敵とし現れてくるのは、この予定調和のツケがイマジネーションとして噴出していると考えることもできます。
 予定調和とはパラダイムといってもよいものです。パラダイムとはその時代の支配的なものの考え方で、発想のバイアスのようなものです。人々がもつ予定調和はパラダイムというバイアスであり、すべてをその世界観にあうように見てく。またその世界観に不都合な事実は観なくするか歪曲することもあります。そうなれば現実よりも予定調和の世界を信じることになる。こうなると宗教の信者のようになってしまします。
 科学哲学者のカール・ポパーという人が、科学とは反証可能性をもつことで成立するといいました。これはつまり絶対的に思える科学でも、修正すべき統計的な現実が出てきた場合は、自らを修正する態度が科学である、ということです。予定調和を絶対化すると宗教化するように、科学を信仰している人は多い。しかし科学は途上でありつねにバージョンアップの必要があります。これは予定調和の世界観も同じく、その世界を安定させるために「不確定要素」を許容する必要があります。そうして出来た新しい構造には、不安や抑圧が存在できる余地がなくなっているのです。

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『摂動の回避』

イラスト 古賀ヤスノリ Yasunori Koga

 摂動とは小さな惑星が大きな惑星の引力の影響を受けて運動が乱される現象をいいます。天体の場合は質量差が大きいと、小さいほうは摂動を受けます。この摂動は実際に押して影響を与えることと違うのがポイントです。これは物理学の話ですが、心理的にも同じ現象があります。そもそも離れたもの同士の「影響」とは平行関係では発生せず、つねにそこには大小差(サイズ比)があります。そしてもう一つは距離です。いくら大きい天体でも離れていればその引力に巻き込まれることはありません。
 小さな天体の運行にとって大きな天体は危険な存在になりえる。そもそも惑星の誕生が、中心にできた引力が周囲の隕石を取り込んで、質量をあげていくプロセスをたどります。大きくなった天体は強力な引力をもちさらに周囲を取り込む。つまりその大きさは外部をからめ取ってできたものです。人間の世界では成功者にみえる証が「数」と思われている所と似ています。損得判断で動く人は、それに引き寄せられます。しかし確実に摂動に巻き込まれる。
 摂動に巻き込まれると大きな天体の一部になります。この状態は自己逃避的な人には安心と誤認され、「精神的搾取」の構造ができます。摂動を利用する者がいる反面、自己放棄として摂動に身を任せる人もいる。もちろん摂動に抗う人もいます。たとえばアニメがヒットした漫画の原作者が、アニメの完成度から相対化を受けそれに耐える。摂動をうけるとバランスを崩し連載休業に追い込まれます。この摂動と搾取の構造を回避し、より適切な摂動の相互作用を作ることが望ましい。巨大で良質な引力が影響を与えつつも、小惑星を拘束しない関係(支配のない引力)が保てるなら、小惑星は摂動の力を借りて強力な力を宿すようになるのです。

AUTOPOIESIS 266/ illustration and text by : Yasunori Koga
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『意味のある時間』

イラスト 古賀ヤスノリ Yasunori Koga

 テクノロジーの急速な発達によって便利になった反面、それまで必要だったものが無くなってしまう、ということがしばしば起こります。たとえば、携帯電話の発達でダイアル式の黒い電話は消滅し、デジタルカメラの普及によりフィルムが消滅、スマホの発達により紙で広げる地図も消えました。デザインの世界ではフォントの普及により手書きで描くレタリングというジャンルが消えました。これらはすべて便利になり時間の節約にもなるので良いことばかりです。しかし本当に良い事ばかりなのでしょうか。
 たとえば、昔の電話は指でダイヤルを回し、ダイヤルが戻ってきてからまた回すという面倒な手順が必要でした。しかしその行為は「離れた人」(他者)と対話するための儀式のようなもので、そこには無意識において心の準備であれ繋がることの価値であれ、いろんな意味が発酵する時間になていた。これは写真のフィルムに現像する時間が必要であることも同じく「待つ時間」に期待や意味が増幅されました。またスマホのナビにより、道に迷うことで世界(風景)を分析し、偶然の出会に感謝する機会もなくなった。
 テクノロジーの発達によって合理化された時間や労力によって、人は開放されたことは間違いありません。しかしそれまでなにげに自己を支えていた「意味のある時間」や労力が消滅しました。それらは「空白の時間」であり数量化できないので見落とされがちです。AIが登場してその傾向が限界の状態にきているいま、失っているものに目を向ける必要があります。「意味のある時間」でしか心の発酵や化学反応が起きない領域がある。この世界観を大事にすることで、はじめて日常世界が安定的に支えられるのです。

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『専門家について』

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 専門家には二つのタイプがあります。一つは専門対象を把握するために、あらゆる分野の知識を借り、全体を形づくる専門家です。各分野のパイオニアがこれにあたります。例えば「精神分析学」を、あらゆる知識によって明確に示したフロイトはその典型です。もう一つの専門家は、専門領域はすでに体系化されており、その内部で整理された知識を学び、その分野にだけ精通した専門家。これは一般的なイメージの専門家です。
 この二つの専門家は、同じ専門家でも立ち位置が違います。前者は建物を建てる時の外側につくる「足し場」に立っている。専門対象を外からいろんな視点で把握して建てていく。それに対して後者は建物の中にいて、中から建物を理解していく。足場の利点は、対象を外からみるので全体が変化していてもよくわかります。つまり境界線がハッキリ捕まえられる。それに対して中からだと、細部がよく見える反面、近すぎて全体が把握しづらく変化にも気付きにくい。さらに他のジャンルのことも分からなくなる。物事が形骸化したり独善的になったりするのはこの内部においてです。
 そもそもあらゆる専門体系は、はじめ外部の足場より作られます。外から作られた専門領域は時間とともに体系化され、内部で理解しやすいものになる。よってそれをただ記憶するだけなら内部で十分でしょう。しかしその専門領域を「生きた外部世界」に有効利用するには、外と内の境界線を知り尽くしておく必要があります。それは多様なジャンルの境界線と、専門領域の境界線が重なる部分です。この多元的で複雑な境界線を熟知し続けることが、真の意味でのアクチュアルな専門家だと言えるのです。

AUTOPOIESIS 264/ illustration and text by : Yasunori Koga
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