『キツネと葡萄①』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 たたわわに実った葡萄。それを発見したキツネは葡萄を取ろうとする。しかし木が高すぎてどうしても届かない。そして最後にキツネはこう考える。「あの葡萄はすっぱくて食べられない」と。そしてその場から立ち去ってしまう。これはイソップの有名な話しですが、自分の力の無さを正当化する話として一般化しています。つまりキツネは現実を受け入れられず、自尊心を守るために自分が作り出した幻想(物語)に逃げ込んだのです。
 キツネは葡萄が欲しかった。しかしどうしても葡萄をとる力が無かった。その事実を受け入れることは自分が負けた(あるいは損をした)ことを認めることになる。自分の力不足で自分が負けたことを認めたくない。そこで葡萄の価値を低める。相手を低く見ることで、相対的に自分を高めて防衛する。このような自己防衛の手段は、何かに対して乗り越える自信がないときにもなされます。あんなものに価値はないと。
 イソップのキツネに見られる「価値の転倒」は、哲学者ニーチェが指摘した「ルサンチマン」という概念とおなじものです。葡萄に対するキツネのように、ローマ人に対するユダヤ人の「価値の転倒」が、キリスト教を作り出したとニーチェは言います。ならばイソップのキツネが作り出した幻想(価値の転倒)は、ある意味では宗教的なものかもしれません。葡萄をとることが出来ないと分かった瞬間、キツネは救済を必要とする存在になってしまった。当然、幻想に救済を求めている間は、葡萄を獲得する知恵を磨き、自己を鍛えなおすことはありません。ではいったい、どのように考えればキツネは葡萄を手にすることが出来るのでしょうか。

AUTOPOIESIS 128/ illustration and text by : Yasunori Koga
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