『アリクイについて』

イラスト 古賀ヤスノリ Yasunori Koga

 アリクイという蟻を主食とするかわった生き物がいます。特に大アリクイは全長2メートルにもなるので、その奇妙な存在感はインパクトがあります。最大の特徴は、蟻を食べるために進化した長細いホースのような口と、蟻塚を破壊するための大きな爪です。さらに箒のような大きな尻尾もある。全体としては、掃除機のような何かを吸い取り中にためる装置といった雰囲気。この形はハッキリいって他の事にはまったく使えない。そこがアリクイたる所以であり最大の魅力でしょう。
 アリクイの蟻塚を破壊するための爪は、武器としては多少は使えども、むしろデメリットの塊といった感じです。蟻のために細くなった口もそうですが、他の可能性を完全に断っています。この潔さと運命を受け入れ切った存在のあり方が、他では形容のできない“アリクイ”としか言いようのない固性を放っています。このような逃げ道のない状態を受け入れた佇まいから、わたしたち現代人の生き方に、少なからず戒めのメッセージを読み取ることもできます。
 現代はテクノロジーの発達によって、選択肢が無限に増えたかに思えます。検索すれば解決法も沢山でてきます。この底なしの環境は、便利な反面、アリクイのような「自分という存在の受けれ」と「運命にたいする潔さ」にとって逆方向の環境です。我がままが永遠に許されれば、それはカオスへと行き着きます。アリクイの一見して奇妙な形態は、「我こうであるがゆえに我あり」という実存的な受け入れを表現している。退路を断ったこの「ありさま」が本物の個性というものなのでしょう。

AUTOPOIESIS 262/ illustration and text by : Yasunori Koga
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『良性の空間』

イラスト 古賀ヤスノリ Yasunori Koga

 AIの時代、知識を売り物にしていた領域は取って代わられ、技術的なこともほとんどが動画としてネットにアップされています。それらはすでに一般に分配されており、残るはそれらの情報に「良性の化学反応」が起こる「場」や、良い影響を促す「空間」に価値がシフトしていきます。それぞれの種子(情報)に合った適切な土壌(環境)を見つける。そういった「場」は空間だけでなく人間関係を含めたものです。人々はすでにそのことに気づき始めてもいます。
 しかしそのような空間は、長い歴史によってできる「肥沃な土壌」であり、「よい空気」のある場所です。それは設計したりマネしたりしてすぐに作れるものではありません。人工的なものは文化的な浅さゆえに、影響は表面的なものに止まります。もちろんただ古くなっただけで、衰退の影響を与える場所もあります。「良性の空間」とは「歴史的な蓄積」と「新しさ」という矛盾が統合した場所に発生します。それは常に変化しながら成熟していく「健全な精神」のような場所です。
 AIの時代は瞬間的に必要な情報が得られます。これはつまり情報化時代の終焉ともいえます。みんなが持っているものはゼロになる。この瞬間的な価値の飽和によって、歴史的に蓄積された「良性の空間」や「変化を許容する場」の価値が高まります。多様な知識や経験が一体(種子)となり「健全な発芽」が起こる土壌。それらは一体どこにあるのか。これからの時代は、自分に合った「良性の空間」を発見し、自由に得た知識と経験を「健全な発芽」へと導いていく必要がある。この自己と適切な場の「存在論的な一致」が、次の時代に求められることなのです。

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『直感的な予測』

イラスト 古賀ヤスノリ Yasunori Koga

 よく気象予報などで、観測史上初の出来事などという表現が使われます。つまり「まれに見る出来事」ということです。しかしその観測記録が10年間のデータだったとして、これを100年間のデータに伸ばすと「頻繁に起こる出来事」に過ぎなかった、ということがしばしば起こります。これは短期的な結果と長期的な結果の価値づけに大きな違いが出ることを示しています。つまり逆の結論に至っているということです。
 こういったことは、偶然の余地を多く含む気象学や経済学の分野でよく起こると言われています。偶然の余地が入りやすい世界の結果は、短期と長期では反転しやすいということです。ならば人生というほとんど「偶然の連続」で成り立っているような世界では、短期と長期の「価値反転の法則」が大きく横たわっている。極端にいえば短期的に良いと判断したものが、長期的には悪い結果となってしまう。
 例えば、ここ30年で社会的に良しとされ、多数が認めた舵取りによって社会は大きく傾きました。この事実はまさに統計学的な逆説を示しています。微分方程式において安全な選択が、長期的な不安定をもたらした。数学者のポアンカレによれば、プロセスを省いて直接未来のゴールに至る能力が「直感」であると言っています。「逆説的な未来を見抜く力」は数学自体にはなく、ポアンカレがいう「直感」が必要になってきます。この「直感」を教育において根本的に鍛えなおすことが、これからの「社会の立て直し」にとって必要不可欠になる。それはほぼ間違いないことなのです。

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『認知衛生学?』

イラスト 古賀ヤスノリ Yasunori Koga

 「認知衛生学」とは私が作った造語で、「情報の真偽を正しく判断する」ための新しい視点です。たとえば、「そのままでいいよ」(あなたは悪くない)と言われた時に、「ありがとう」と返事をして、良かったと思うとします。これが通常のコミュニケーションです。しかしもし、相手がこちらのレベルを落とそうとして、本当はもっと頑張った方がいいのに「そのままでいいよ」と言ったとすればどうでしょうか。この場合は「そのままでいいよ」は表向きの情報であり、裏には低レベルへ押し込んで前進させないでおこう、という目的が隠されています。
 表向きと裏とで意味が違う。つまり「意味の二重構造」があり、しかも表と裏は逆向きになっています。この状態をダブルバインド(二重拘束)と言います。このダブルバインド状態に長い間さらされると子供は統合失調症になると言われています。こういったダブルバインド情報は、本音と建前が常態化している企業の広告から、政治家や親の発言、詐欺師の誘いやSNSにいたるまで、いまや蔓延しています。よって表面だけの解釈をするのは危険だといえます。
 「そのままでいいよ」(あなたは悪くない)と言われたとき、「なぜ相手はそう言っているのか」という視点をまず最初にもつ必要があります。その「分析の視点」には、相手がどういう性質の人なのか、相手と自分はどういう関係にあるのか、あるいはまともに受け取ったら自分は「どういう影響を受ける」のか、といった沢山の情報との照合が必要になります。現代の分裂した情報社会では、この文脈照合なしに情報を受け取ると、ほぼ裏の情報に支配されることになります。この裏にある「隠された情報」を直感的に判断できる「情報の免疫システム」をつくる必要がある。「認知衛生学」はこの免疫システムを多面的に研究し実践していく視点なのです。

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『意図した制作』

イラスト 古賀ヤスノリ Yasunori Koga

 絵には意図的に描かれたものと、結果的にそうなってしまったものと、二つがあります。前者は描く前からある程度の結果をさきに決定し、おおむねコントロールの範囲内で作品を作ります。それに対して後者は、最初の青写真があるとしても、描いているうちに計画とは違うプロセスができ、最後は思っても見ない作品ができる。結果だけ見れば、二つは同じ「作品」と呼べるものですが、制作過程で「描き手の中に起こっていること」がまったくちがいます。
 これはツアー旅行などで最初から全てが決まっていて、始まる前から予想がつく旅と、現地に行ってからその感触で行く場所を決めていく旅との違いです。ツアーは安心を得ることができる反面、冒険の余地がありません。余白や別の枝分かれを閉じられています。それに対して、現地での判断は、不安定な分、自由と冒険が保障され、意外性の余地がふんだんにあります。
 事前の計画によって得られる安心は、冒険や意外性を引き換えにしている。絵の制作の場合だと、計画と引き換えにするのは、進化に必要な突然変異を促す「偶然」です。逆に無計画で得られる自由や冒険と引き換えするのは、安定や安心です。生物の成長や物事の現状維持が「進化し続けること」でなされることを考えると、計画だけに閉じこもるのは危険だともいえます。安心や安全を基盤としつつも、そこに「自由」と「冒険」を組み込むことが「真の意味での安定」である。それは森羅万象がはっきりと示しているとこなのです。

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