『コロナ以後の世界』

 現在、新型コロナウイルスの感染防止により、人々は切り離され、独立した「個」として振る舞うことを強いられています。これまで当然だった集まりや近いコミュニケーションが出来ない状態です。このような日常とは違う状態を「非日常」と考え、早く前の状態にも戻らないかなと考える。
 しかし、もし今回の新型コロナウイルスが、10年単位で世界中に留まるとするならば、ある程度は人と人との「距離」を保つことは、日常になるかもしれません。そうした姿勢で「新しい社会構造」を作る方が、もし新たなウイルスが発生したときには安全です。さらにお互いを変に拘束しあうような関係も、正常化されていくはずです。

古賀ヤスノリ イラスト

 ウイルスの全容が把握されていない現在、これまでのような確率論で未来予測することは難しくなっています。今のところ、「これまでの生活」に成れている私たちは、以前の生活へ戻るだろうと無意識に感じ、また願ってもいます。しかし、世界史的に見れば、大きな疫病が蔓延した後には、必ず秩序体系の「刷新」が起こります。今回のウイルスの規模から推察すると、そうなる可能性が十分にあります。つまり元へは戻れない。以前大事だった価値観は、使えないどころか、逆に不利益を生むかもしれません。少なくともそう考えておくことで、次にくる「新しい世界」への有効な備えとなるはずです。

AUTOPOIESIS 0056/ illustration and text by : Yasunori Koga
古賀ヤスノリのHP→『Green Identity』

『信頼』

 大工さんが建物を建てる。二階部分は届かないので、周りに足場を組む。その足場で二階部分の作業をします。もし、大工さんが足場を組んだ人の技術を信頼していなかったら、作業をしても落ち着きません。仕事が手につかないということになります。イライラしてストレスがたまってしまう。
 人は自分が信用できる足場でしか、落ち着いて作業ができません。信頼できる地盤でしか通常の能力が発揮できない。信頼とは何か。それは自分を預けても大丈夫だという感情のようなものでしょう。あるいは、存在の基盤を支える実存的な確証。世界に対する信頼がないと、そこで生活する人々は不安定になります。

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 では自分の足場となる世界を信じるにはどうすればよいのでしょうか。人は「壊れたつり橋」を渡る時、足で強度を確認しながら進みます。「ここは大丈夫だ」といった感じで。少しずつ信頼できる足場が広がる。広がった足場から新しい風景が見える。信頼とは「表面的なこと」ではなく「本質的なこと」(事実)です。本質に目を向けて、信頼できる足場を広げることで自分の実力が自然に顔を出す。自分の思いがスムーズに表現できる状態がここにあります。

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『社会的な価値』

 社会的な価値観というものがあります。「人々が共通に考えている」と思われている常識のことです。この常識は時代によって変化します。さらに一時的な社会状況によっても左右されます。社会を水槽に例えるならば、水槽の中の熱帯魚は水槽という社会環境を常識としている。もし水槽が傾いたり揺れたりすると、その変化を社会的な価値として熱帯魚は常に受け入れて生きます。
 もし水槽内が良い状態にあれば、その中の常識も魚たちに良い影響をあたえます。しかし水槽が不自然に振動したり、ろ過されていない水や有害な物質が入ってきたらどうか。もし熱帯魚たちがそれに気づかなければ、いつも通りの常識を受け入れて生活することになる。もちろん熱帯魚たちは悪い影響をじわじわと受けていく。

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 社会的な価値という「見えない環境」は、クリーンであるか汚染されているかが分かりにくい。中にどっぷり浸かっていては分からない。それらを適切に判断するには「外から見る」しかありません。それは、社会的な価値(常識)が「常に正しく無条件に従うべきもの」という考えを一度捨てることでもあります。そうして「見えない環境」の汚染に気づいたときには、人々の手によって、適切な状態へと戻す必要があるのです。

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『カバ』

 カバは水よりも比重が大きい。だから水中を歩くことが出来る。しかもカバは、肺に空気を貯めて浮かびながら自由に泳ぐこともできる。人間なら浮力が邪魔をしてそうはいかない。カバは水中で自由に生きる反面、陸上では長く歩くことが苦手らしい。
 水よりも重いカバには自由が許されている。水より軽い人間には自由が許されていない。ここでいう水よりも重いとは「質量」が重いということ。物理学でいう「質量」とは「重さの度合い」であり「動かし難さ」の度合いでもある。つまり水中における「動かし難さ」が自由の条件となっている。

『カバ』

 人間の世界も周囲に流されない「動かし難さ」が自由の条件だといえる。「世間の質量」より「個人の質量」が高ければ、動きだけではなく考え方も自由になる。では、世間や個人の「質量」とはいったい何なのか。それさえ発見できれば、私たちはカバのように自由に歩くことが出来るのです。

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『アリクイ』

 アリクイという動物がいます。蟻を主食として生きる動物です。蟻塚の中の蟻を食べるために、口が細長く特化した形状をしています。そうなると他の物はとても食べづらい。完全にターゲットを蟻に絞った専門性。このように生き残りをかけた専門特化は、メリットとデメリットがハッキリと現れます。
 人間もその道を極めると専門家になります。そうして専門特化すればするほど、メリットとデメリットはハッキリします。しかしプロフェッショナルとはそういうものでしょう。逆に言うと、デメリットがハッキリしていない状態は、中途半端だということです。

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 メリットとデメリットは表裏一体。もしデメリットを避けることに集中すれば、メリットも得られない。失敗しないために何もしない、ということになります。「専門特化すると環境の変化に適応できない」という意見もあります。しかし、その道の専門家たれば必ず「普遍的な原理」を理解しているはずです。よって他領域への応用も可能でしょう。アリクイは「専門特化の原理」を知るがゆえに、蟻が絶滅してもまた、新しい専門特化を見せるに違いありません。

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