『建築はどうあるべきか』

アンドレ・ルロワ=グラーン「芸術家の直観力は、過度の機械化に対する矯正手段となるのです」
(ヴァルター・グロピウス)
 
 建築界の巨匠、ヴァルター・グロピウスによる文化芸術論。グロピウスは序文において、「市民は文化のシンボルとしてのアポロンの力(知性)を回復させるよう、要求されている」としいます。芸術家と理解ある大衆が一体となって、はじめて真の文化が形成される。そのためには、すべての人に「かたちを創造する能力」をよみがえらせる必要がある。過度な産業化によって失われた、「美を直感する力」を復活させ、見えなくなった全体を再び浮かび上がらせる。建築を超えて芸術文化の再生を説く、美のための建築論です。

018『建築はどうあるべきか』ヴァルター・グロピウス: Originally published in 1972
illustration and text by : Yasunori Koga

古賀ヤスノリHP→『isonomia』
日々の思考→『AUTOPOIESIS』
映画エッセイ→『Cinepheno』

『陰翳礼讃』

古賀ヤスノリ イラスト
 
「陰翳の作用を離れて美はないと思う」
(谷崎潤一郎)

 西洋文化が入る以前にあった、日本独自の美意識。それは照明のない暗がりの部屋で発見した「陰翳の美」。そこに「優雅」や「花鳥風月」もあった。翳りという環境は、物体を風流で古色を帯びた美へと変化させる。文明の発達により、照明で全てを照らした世界は、物と物との間にある陰翳のあやを消し去ってしまう。谷崎は、日本独自の文明を模索しながら、文明の利器を鵜呑みにする社会に警鐘を鳴らす。名文で美を語る随筆は、まさにそれ自体が「美」と言える一冊です。

N017『陰翳礼讃』谷崎潤一郎: Originally published in 1939
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『ゴダール映画史』

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「制約こそがスタイルとリズムをつくり出す」
(ジャン=リュック・ゴダール)

 ヌーヴェルヴァーグの旗手、ゴダールが、1978年にモントリオールで行った講義録。彼が言う“制約”とは「現実」であり「真実」である。映画監督のあらゆる「決断」もそこから必然的に行われていく。映像は「現実」そのものであり、言語を通さずに世界を見ることを可能にした。ゆえに脚本に依存する映画には矛盾がり、その矛盾は現場で修正していく。ゴダールは矢を放つのではなく、矢そのものであれという。つまり映画を作るには、自らが現実たれ、ということなのだ。“映像の現象学”と呼ぶべき名講義録です。

N016『ゴダール映画史』ジャン=リュック・ゴダール: Originally published in 1982
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『茶の本』

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「真の美は、不完全を心の中で完全なものにする人だけが発見することができる」
(岡倉天心)

岡倉天心が、明治三十九年にニューヨークで出版した「茶の湯」の真髄。薬用から飲料へ。八世紀の中国で娯楽から詩へと発展した茶は、十五世紀の日本において茶道へとたかめられた。それは道教であり善の儀式でもある。そこに関わる茶人や数寄屋、花たちはすべて“美との一体感”のために存在する。はかなさ、未完の美、非対称、非反復性、どれもが「相対の美学」を構成する。茶道は、日常のむなくるしい諸事情の中にある美を崇拝する儀式。日本が世界に誇るものは産業などではない。茶の湯の精神なのだ。

015『茶の本』岡倉天心: Originally published in 1906
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『母性社会日本の病理』

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「(敵は)われわれ母性文化の本城である『家』の中にはいりこんでいる」
(河合隼雄)

臨床心理学者が、対人恐怖症の人々と接するうちに発見した母性文化。その見えない構造にメスを入れた画期的な論考。母性原理は、生み育てるもの。それに対する否定的な側面は、呑み込み、しがみつき、死に至らしめる。そのような混沌を、全てを融合し未分化な状態を作り出す“グレートマザー”に見る。その内部では全てが許される反面、自我の確立や善悪判断を失う。そのような「融合」ではなく、「自立」に基づいて他者と新しい関係を結ぶ必要がある。自我を飲み込むグレートマザーとの戦い、日本の現状に対する決定的な処方となりうる一冊。

014『母性社会日本の病理』河合隼雄: Originally published in 1976
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『学校と社会』

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「教育には初等も高等もない。ただあるのは教育だけである」
(ジョン・デューイ)

 アメリカが誇るプラグマティズム哲学の代表格、デューイによる教育論。学校が陥りやすい、学校と生活の乖離(学校の孤立)を、社会からのフィードバックを取り入れ、再び結合させる。論理(学校)と実践(生活)の相互作用を取り戻すことで、“手本の奴隷制度”ではない、創意工夫や主体性を発達させる“自立したシステム”へと昇華させる。教育とは本来「ひき出す」ことを意味する。機械的な功利性からの解放が、学校を芸術と科学、歴史の拠点たらしめるとデューイは言う。教育制度の形骸化から子どもたちを守る、まさにプラグマティズムな教育の書。

013『学校と社会』ジョン・デューイ: Originally published in 1915
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『現代哲学』

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「持続性を認めるために、我々は実体という概念を考えだす」
(バートランド・ラッセル)

本書は哲学の入門書として書かれたものであるが、量子力学から相対性理論までもカバーした徹底的なものである。その意味では入門書とは言いにくい。しかし「二人の人が厳密に同じ対象を見ることは決してない」という物理空間と知覚空間の非対称性を、科学的な知識を裏付けながら知るには最適の本である。認識と連合法則の関係。因果論の逆行不可能性。科学的でありながらも、科学批判という「哲学の使命」を貫く論考。人びとが知識として疑いない地平。そのパースペクティブを補正する力は、歪んだは資本主義を正す力を持つ。真に実践的な名著。

012『現代哲学』バートランド・ラッセル: Originally published in 1927
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『創造する無意識』

古賀ヤスノリ
 
「芸術は絶えず時代精神の教育に携わる」
(C.G.ユング)

 心理学者ユングが文芸について語った貴重な記録。とくに1922年に行ったスイスのチューリッヒでの講演は、フロイトの芸術論と一線を画す“ユング節”が炸裂している。ユングによれば芸術作品は、個人を超えた「集合的無意識」から生れるもの。よってフロイトの「還元主義的分析」を適用するれば、作品はたちまち個人の領域へ引き戻されてしまう。本来の芸術とは、時代に不足したものを直感した表現であり、個人の意図を超えたものである。よって、芸術は「美」であるだけで事足りるとユングは言う。時代がユングに追いついたことを感じさせる名講演集。

011『創造する無意識』C.G.ユング: Originally published in 1930-1985
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『狭き門』

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「労力に対する報酬という観念は、立派な魂を損なうものよ」
(アンドレ・ジイド)

 この物語の裏にあるのは、自己犠牲という感覚がつくる“結末”であり、それは人生に対する遠慮を超えた「自己放棄」とでも呼べるものです。つまりそこにあるのは、「個人」ではなく完全なる敬虔さ。主人公ジェロームとアリサの可能性は、アリサが持つ純粋な宗教感覚によって阻まれていく。自己犠牲に囚われた個人の姿は、現代においても終わった問題ではないでしょう。ジイドが伝えようとした自己犠牲の結末は、個人の幸福を獲得するためにこそ、必須の認識なのです。物語に凝縮されたテーマが人々を解放する 、憂愁に包まれた名作。

010『狭き門』アンドレ・ジイド: Originally published in 1909
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『緋色の研究』

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「ぼくにとって、そんなものがいったいなんの役にたつのかな!」
(アーサー・コナン・ドイル)

 誰もが知るシャーロック・ホームズが世に出た第一作目。ストーリー自体は推理ものとして単純明解です。しかし、コナン・ドイルが作り出したシャーロック・ホームズの「情報処理の姿勢」は、情報過多の現代人に一つの指標を与えるもです。彼はあらゆる知識に通じた天才でありながら、その反面、一般人が知る当然の知識(常識)をまったく持っていない。地動説すら知らないという始末。彼は言います。「無用なものを覚えて、役に立つ知識を追い出さないようにするのは、じつにたいせつなことですよ」と。ネット社会での新しい「常識」を予感した、学ぶところの多い娯楽小説です。

009『緋色の研究』アーサー・コナン・ドイル: Originally published in 1887
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