『中心軸について』

イラスト 古賀ヤスノリ Yasunori Koga

 人は何かの軸をつくり、それを中心に生きることで安定します。例えば規則正しい生活であったり、趣味であったり思想であったり。なんの基準もなく好き勝手を繰り返すと、不安定になり最後は破堤(カオス化)します。コマが中心軸を基に回転することで安定するように、ブレない中心が必要です。もし中心がブレてしまうと、回転は楕円を描きはじめ不安定になっていく。あるいは軸をたくさんもち、そのつど替えるとすると、回転を毎回止めることになります。全体を一つの中心軸に沿わせないと、どうしても非効率で不安定になっていく。
 もちろん軸がなくても生きてはゆけます。他の動物たちは軸をもたず、かわりに本能という基準に従い生きています。フロイトは、人間は本能の支配から自立へむかうがゆえに不安が発生すると言いました。よってこの不安こそが人間の証であり、本能支配へ逆もどりしないためにも、自分を律する軸が必要になります。好き勝手に動かないように、なにかの軸にそって自己を制御することで、初めて人間としての安定がある。
 中心軸になるものは、本能のレベル(生活)以外の、いわば本能を抑制し、制御する行為によって作られます。たとえばスポーツをする。段々と上手くなるのは、好き勝手を抑え、ルールをかりて自己制御が可能になった証拠です。また絵などの芸術でも同じです。運動や芸術に不可欠な基準は、ビジネス書などにあるようなルールと違い、人間にとってより普遍的なものです。なので自己制御のための基準として優れています。中心軸は一貫性をたもち、分裂やカオスへむかう流れを抑えることで作られます。そして一つの軸で力強く回転することで、全体が倒れることなく、長期的に安定するのです。

AUTOPOIESIS 254/ illustration and text by : Yasunori Koga
古賀ヤスノリ サイト→『Green Identity』

『ハードルの受け入れ』

イラスト 古賀ヤスノリ Yasunori Koga

 物事に飽き飽きするという現象がときに起こります。同じ料理ばかり食べていると飽きてしまうし、同じ風景ばかり見ていると別の風景を見たくなるものです。このように人は同じ状況にたいして永遠とは耐えられない。経済学にインフレーションという概念がありますが、まさにありすぎて価値が下がってしまうということです。
 ありすぎると価値が下落してしまう。別の言い方をすると、簡単に手に入るものや、一般化してしまったものには価値を見だせなくなる(これは「一般」に依存することの代償です)。あるいは誰もが持っているものに価値を感じない、というこのです。よってただで手に入るものは価値を見出せないし、大事にできない。いまや情報はネットで簡単に手に入るので、情報に価値を見出せない時代です。
 逆に価値を見出しやすいものは「手に入りにくいもの」(希少性)です。つまり自分自身のインフレーションが起きにくい性質のもの。別の言い方をすると、獲得するために「努力を要求するもの」です。入手に手間がかかると共に、自分だけの個性とマッチするものがあれば、それこそ本質的に「自分にとっての価値あるもの」(価値の下がらないもの)です。ヤル気や面白さ、あるいは納得は、自分に合った“程よいハードル”(自分の目標)を発見し、それを受け入れることで維持されるのです。

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『研究と表現』

イラスト 古賀ヤスノリ Yasunori Koga

 研究とはまだよく分かっていないことを、認識し整理して再現可能なものへ変えていくことです。なので誰もが分からなかったことを、誰にでも分かるようにまとめられた研究は、それだけ価値があることになります。しかしリスクもあり、長い年月をかけても結果が出ない場合もあります。よって保守的な研究者は、分かっていることを集めて整理して研究としがちです。
 分かっていることを並べ替えたり、言い換えたりすることで新しい結果とする。研究であれ表現であれ、この手法は一見新しい結果のように見えます。その性質上、他人にも分かりやすい。しかし実質は「同じ枠内」の変化にすぎません。それに対し本当の研究や表現(創造)は、「枠の外」というまだよく分かっていない領域を探求するものです。もしそれが本物の研究や創造であるか、という区別をつけるとすならば、「枠内」の反復か「枠外」の探求かが一つの基準となります。
 印象派のモネにしても、ウィーン分離派のクリムトにしても、最初はアカデミズムという枠内で表現していました。しかし段々と窮屈になり、枠外を仲間と探求し、表現して自分のスタイルを作り上げました。これは良質な学者の研究と同じです。歴史的に評価されているものは、常に反アカデミズムの性質があり、形骸化した枠を取り壊す重要な役目を担っています。もちろん抵抗する側もいますが、歴史は彼らを必ず退けます。真の研究や創造とは、形骸化したアカデミズムに気づき、その枠の外に広がる可能性を探求することなのです。

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『自我の分子構造』

イラスト 古賀ヤスノリ Yasunori Koga
 よく心理学の分野で「自我」という言葉を使います。「自我」とは一般的には自分が「これが自分だ」と思っているところのものを指します。つまり他人は自我ではないし、また無意識にあり把握できない自分は自我から排除されています。この意味で「自我」とは他人ではないが、また自分の全体でもない、ということになります。そしてこの自我は始めから先天的にあるものではなく、人間関係によって作られます。
 自我は作り物です。しかも人との関係によって自我のあり方が決定される。このことから、自分の親が自我形成の最重要人物であることは疑いがありません。もし自我が不安定である場合、親に原因があると考えるのは自然なことです。親が支配的・圧政的であれば、子供の自我は「不安」と「服従」で構成され、無意識の行動原理となります。また親が子の主体を尊重し、拘束ではなく最終的な自律を目的として接すると、その自我は自由で自律的になります。
 親との関係で自我が形成される。それと共に、その後の人間関係によってマイナスがプラスへ転じたり、また逆もあります。分子構造のように、プラスやマイナスの人間関係が複雑に構成され、自我構造が出来上がっている。悪い方法をよしと吹き込む人や、怠惰や堕落を旨とする分子と結合すれば、そのような自我になる。また善悪の判断の重要性や、戦うべき時は逃げないという意志をもった分子と結合すれば、外部に流されない強い自我構造になるでしょう。つまりマイナス分子をできるだけ発見して分離(あるいはプラスと結合)することで、自我構造を安定させることができる。自我は人間関係によってできる分子構造のようなものなのです。

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『美しく育つ環境』

イラスト 古賀ヤスノリ Yasunori Koga
 鉢植えで植物を育てていると、なんとなく調子が悪いものに気付きます。すぐに枯れていると分かるのではなく、成長が遅くなったり葉の形が小さくなったり退色したりという変化です。この状態を放置していると最後は枯れてしまいます。これは鉢の中に根がパンパンに張って鉢をおし広げようとしている状態です。こうなると根は“窒息”し水はけも悪くなる。つまり適切な成長には、植物の苗に見合ったサイズ(大きすぎてもよくない)が必要だということです。
 これは植物だけに限りません。成長に関わることには適切な器(質)とその大きさに見合ったサイズが必要不可欠です。もし成長が遅すぎたり止まっていたり、あるいはマイナス(たとえばヤル気が出ないなど)になったとすると、それは器(環境)に問題があると考えられます。器が小さかったり、偏っていたり、古くて壊れかけているものも良くありません。このように成長の鈍化や問題が器(環境)のほうにある場合も多いのです。
 植物の根は水や栄養を吸収する大事な役割があります。根がやせていたり問題があると、それは全てに影響します。美しく育つ植物は根がしっかりと健康ではっています。もちろんそれには日光や水といった要素が不可欠です。それと同時に植物の根が健康に成長する環境が大切です。成長に見合ったサイズへ器を変えていく。この概念があるかないかで成長は随分とちがいます。根は隠された成長の基盤です。その根に適した環境選びこそが大事なのです。

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