人間には無意識がある。この無意識を人類が発見したのは19世紀後半で、フロイトが臨床例のもとに無意識があると仮定しないと辻褄が合わないと考えた。無意識とは「意識できない領域の総体」で、つまり「知らない自分」のこと。心の病はこの「知らない自分」に問題があると考え、そこを発見し治療していく。なのでますば「知らない自分」がいるということを認めることから始まります。つまり自分のことは全部知っているというスタンスは、のちに問題が発生するとも言えます。
無意識は見えないので数量化できません。よって操作もできない。そこでフロイトは「夢」(夢は無意識が作り出す作品)に着目して「夢」に現れたメッセージを「象徴的に解読」していきました。今では箱庭を作りそれを解読することなども臨床の現場では盛んに行われています。この無意識の把握は、数量化による把握と操作で動いている現代社会が最も苦手とするところ。いわば盲点です。
もし社会を一つの人格と考えるならば、盲点は抑圧の結果できるものです。パソコンやスマホにとっての抑圧部分は数量化できないもの。つまり無意識は全て抑圧されています。ゆえにそのようなコミュニケーションだけに依存すると心の病になりやすい。もし日頃から無意識を含めた表現を行なっていれば、抑圧に支配されて暴走をまねく確率は減ってきます。この「無意識の表現」は、数量化できないいわば社会的に「無価値な表現」といえます。しかしその「無価値な表現」こそが人々の精神を救っている。この逆説に気付き、注目すべき時代に入っているのです。
AUTOPOIESIS 229/ illustration and text by : Yasunori Koga
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