『スモーク』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり
 この物語はタバコの煙の重さを計るというエピソードから始まる。タバコの重さを計り、次に火をつけたあとの灰と吸い殻を計る。その差異が煙の重さであり、それは魂を測るようなものだという。そして主要人物たちの「過去に失ったもの」が少しずつ新たな形で再生していく。つまり煙のように失ったものが魂であり、その失ったものを認識し受け入れることが魂の再生であると。
 妻を失った作家。その作家の行きつけのタバコ屋。そして両親がいない青年。それぞれの登場人物が少しずつ交差してゆき、影響を与え合いながらお互いの過去を新たに再生させていく。急ぐこともなく、強調することもなく、自然に進むストーリー。変化しながらも日常がつつがなく流れる雰囲気は、この映画でしか味わえないもの。
 ウィリアム・ハート、ハーベイ・カイテルといった名優たちの素晴らしい演技。ウェイン・ワンの抑制のきいた演出。そしてポール・オースターの心に染み入る脚本がすばらしい。ラストで描かれるショートストーリーとタバコの煙が、魂と人生の価値を静かに語る。光だけでなく影も優しく包み込んだ愛すべき作品。

051「スモーク」 1995年 アメリカ 監督:ウェイン・ワン

AUTOPOIESIS 177/ illustration and text by : Yasunori Koga
古賀ヤスノリ サイト→『Green Identity』

『コーヒー&シガレッツ』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 初期から現在に至るまで、良質な作品を撮り続けるジム・ジャームッシュ監督の11篇オムニバス映画。1話10分程度で全篇モノクローム。話の繋がりはないが、タイトルが示すとおり、コーヒーとタバコが一つのテーマとなっている。それ以外でほぼ共通するのはテーブルに見られるチェス版のような白黒の格子模様。しかしそれらの共通項がストーリーの独立性を阻害することはない。
 どのストーリーも対話(チェス)が基軸となり、会話の内容は取るに足らないものばかり。しかしこの無内容さ自体を対象化したスタイルは、ジャームッシュお得意のシュールな“間”の秘密でもある。無意味さが無色(モノクローム)で統一されることで、全篇をとうして情緒を排したナンセンスな構造が維持されている。つまり一般的な対話(物語)の「情緒的な完結」が巧みにかわされているのだ。
 完結を巧みにかわす。未完成なありかたは、11話すべてにみられる対話の「すれ違い」に凝縮してあらわれる。この「すれ違い」は文化的、趣味的、人種的、思わく的な前提の違いからおこる。取りとめのない会話と「すれ違い」の間、そしてその「すれ違い」こそがチェスのように新たな対話を生むキッカケであることに気づく。それらすべてをカフェ的な軽さで描いた、ジャームッシュのデッサン的な秀作。

050「コーヒー&シガレッツ」 2003年 アメリカ 監督:ジム・ジャームッシュ

AUTOPOIESIS 125/ illustration and text by : Yasunori Koga
こがやすのり サイト→『Green Identity』

『サウンド・オブ・メタル』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり
【ストーリー】

ドラマーのルーベンはヴォーカリストのルーとバンドを組んでいる。二人は恋人同士でありトレーラー暮らしでツアーを回っている。ある日ルーベンに聴覚障害が現れ、爆音環境であるバンド活動が障害を進行させるというパラドクスに陥る。バンド維持を切望するもルーの説得により、聴覚障害者の支援施設へ向かう。そこでルーは手話と聴覚障害者の基本的な生活スタイルを学んでいく。そしてある日、手術を受け以前の聴覚を復活させようと試みる。

【ノイズと静寂】

依存関係にある二人は音楽(メタル)によって自己を表現している。お互いに過去に傷があり、バンド活動によって内的葛藤のバランスを取っている。しかしルーベンの聴覚障害によりその構造が崩れてしまう。それまでノイズを生み、ノイズを浴びることが自己逃避にもなっていた彼にとって、バンド活動の停止は人生の停止に等しい。しかし世界で唯一信頼できるルーの説得により、バンドの休止を受け入れ施設へ入る。そこで手話という静寂のコミュニケーションを獲得していく。これはノイズによるコミュニケーションの真逆であり、そこに全体性の回復が暗示されている。その獲得には内的にも真逆の価値観を要求されることになる。手話と聴覚障害者の生活スタイルを徐々に受け入れていくことで、ルーベンは内面的にも変化していく。ノイズがノイズとなり静寂が静寂となる。ルーベンは覚悟を決めルーと再びバンドを再開しようと動きだす。そして本来の自分たちの姿で対面することになる。本来の自分とはなにか。自己表現と自己実現とは。そして「聞こえるということはどういうことなのか」をリアルに体感させられる稀有な作品。

AUTOPOIESIS 107/ illustration and text by : Yasunori Koga
古賀ヤスノリのHP→『Green Identity』

『チャイナシンドローム』

古賀ヤスノリ イラスト illustration

【あらすじ】

 取材中に起こった原発事故。女性リポーターとカメラマンはそのフィルムをスクープとして報道しようとするも、圧力がかかり中止となる。しかし撮影したフィルムの検証によって大事故が起きる寸前であったことが判明する。事故を隠蔽しようとする原発の現場管理者も、安全審査に大きな欠陥を発見する。原発経営側の思惑に反する原発稼働停止をめぐり、対立した現場管理者はジャーナリストに協力する決断をする。そのことで命を狙われることになり、原発の制御室で最後の手段を取ることになる。

【真のジャーナリズム】
 主人公の女性リポーターは、取るに足らないニュースを日々レポートしていた。しかし潜在的にはジャーナリスト気質であり、硬派なニュースの担当を希望していた。そして彼女が組んでいるフリーのカメラマンは、実力はあるが自意識が強く扱いにくい性格である。この二人の性格が事件を急展開させていく。
 取材で訪れた原発で地震が発生し、その混乱の一部始終をカメラマンが隠し撮りする。禁止されていた制御室の撮影を独断で行うカメラマン気質が、後に真実の追究へと繋がっていく。彼は圧力がかかりお蔵入りになったフィルムを保管庫から、またも独断で持ち出すことになる。
 スクープが頓挫するも現実主義の女性リポーターは、一度は上司の説得に従うも、フリーカメラマンの行動に影響されていく。彼女は現場管理者と話し隠蔽の事実を知ったことで、真実を公表する欲求が本物となる。そして人気リポーターとしての立場を利用して、徐々に真実をリポートしていく。
 事故の隠蔽とともに原発の安全審査に問題があることを発見する現場監督者は、その事実を周囲に理解してもらえず、それまで敵であったジャーナリストに強力する。しかしそれは必然的に経営者側との対立を生み出す。腐敗した組織にとって「正しさ」こそが欠陥部分として排除されるのだ。
 人命軽視による利益優先の経営者。命をかけて事故を防ごうとする職人気質の現場監督者。「真実を見る」ことを使命とするフリーカメラマン。そして真のジャーナリストとして成長する女性リポーター。原発事故によって浮彫りになる科学技術の副作用。そこに組織の腐敗が絡むことの悲劇。この映画には、現代人が最も陥りやすい落とし穴が描かれている。この穴をしっかりと照らすのがジャーナリズムであり、そのようなジャーナリズムの機能低下が悲劇に繋がることは自明である。全てのジャーナリストに観てもらいた一作。

vol. 048 「チャイナシンドローム」 1979年 アメリカ・ 122分 監督 ジェームズ・ブリッジス
illustration and text by : Yasunori Koga

★古賀ヤスノリのHP→『Green Identity』

『TENET テネット』

古賀ヤスノリ イラスト illustration

【あらすじ】
 現在の地球を支配しようとする未来人。それを阻止すべく結成された組織「テネット」。主人公はテネットに入り「時間を逆行する弾丸」を目の当たりにする。エントロピーを下げることで時間が逆行する現象は、未来人が作りだした回転装置により発生する。地球の支配をもくろむ未来人は、武器商人セイタ―に、現在の人々を破滅させる装置の起動を命じている。主人公は回転装置を使って時間を逆行し、セイタ―を阻止しようとする。しかし時間を先行するセイタ―は常に主人公の先回りをすることになる。
 
 【時間の逆行可能性】
 この物語では、時間が逆行できるのは回転装置を通過した物に限られている。つまり起きた結果を起点としてのみ、時間をターンできるのである。これは、結果がある時のみその原因を導き出すことが出来るという意味でもある。時間を逆行する映像はなかなか衝撃的であるが、しかしこの映画に潜む真のテーマは「情報」であり「決定論的な因果性」を突破する話しである。
 登場人物の一人ニールの「起きたことは仕方がない」というセリフがあるように、結果を受け入れることで逆行が可能となるだけでなく、そこから新しい分岐が可能となる。その意味では目的論を示唆したセリフでもある。さらに主人公は「無知こそ最大の武器」と語る。これは「反決定論」を指すもので、「反情報化」という“自由”を示している。つまり情報化されている間は先回りされるのだ。
 そもそもエントロピーを下げることで「時間が逆行して見える」という設定は、起こったことの情報化を示すもである。なぜなら情報とはエントロピーの逆数だからである。物語中でも物理学や量子力学が持ち出されているが、ノーランがそれらの下敷きにしたのは精神分析学ではないだろうか。フロイトは、結果がある時だけ原因を見出すことが出来るという。そして隠れた過去の原因を、現在の自分が真に認識しえたとき、心的外傷は消えるとしている。これはまさに、未来の自分が時間を逆行して、過去の原因に対して「起きたことは仕方がない」という受け入れを行ったことに等しいからである。
 フロイトの場合は「事実認識」によって停滞した流れを正常化させるという原理がある。『TENET』における「時間の逆行性」も同じく、現実の受け入れによって「新たな可能性」が初めて生まれることを描いている。そもそも未来人が現代人を破滅させれば、未来人自身も破滅するという「オイディプス理論」が成り立つ。しかし未来人もその理論(決定論)を超える結果を期待して、計画を遂行しようとしているのである。つまり結果から原因へ逆行し、決定論を超える新たな流れを作り出そうとする。それは先の分からない展開の「創造」である。この創造的計画を阻止するには、それを超える計画が必要となる。その作戦は過去と未来の二つが「統合」される場所(10分間)で展開されることになる。その意味では『TENET』の二つの「TEN」に重なる「N」を「NOW」と受け取りたい。見事な傑作である。

vol. 047 「TENET テネット」 2020年 アメリカ・イギリス 151分 監督 クリストファー・ノーラン
illustration and text by : Yasunori Koga

★古賀ヤスノリのHP→『Green Identity』

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