物事にはルールがある。例えばスポーツならテニスやバスケットにはそれぞれのルールがある。ルールは守るべきものなので制限ということもできます。なのでテニスが好きとかバスケットが得意とかいった好みは、受け入れるべき制限が自分の性質に合っているということです。これは芸術でも同じく、絵画や音楽、詩や彫刻といったシャンルは受け入れる制限の違いであり、どれが好きかはルールが自分に合っているかどうかで決まります。
ルールや制限により出来上がるのが仕組みであり構造です。たとえば面白いゲームや良質な組織、美しい建築には良い構造がある。この構造とそれに関わるひとの性質の相性がよければ、そのジャルで才能が発揮されることになります。上手くいかない場合は、選んでいる構造が自分に合っていない可能性がある。どちらにしろ制限の受け入れは「自己制御」や「自己抑制」を強いるので、それらの力が弱いと制限の受け入れが難しくなり、構造を逆利用して力を発揮することが難しくなります。
構造とそこに関わる人の性質との間に「幸運な一致」があったとき、素晴らしい現象が起こります。人の才能は開花し、またそのジャンルの魅力が引き立ちます。これは構造や制限が良いからというだけでも、個性が優れているからというだけでもなく、二つが「幸運な一致」をみているからこそ起こる現象です。なのでどのジャンルが人気があるとか、他人が上手くいっているから自分も同じ構造でやろう、といった一般論では上手くいかない。「自分の性質に合った構造」を自ら探すことでしか「幸運な一致」は生まれません。そしてそのためには「本当の自分」(あるがままの自分)をよく知っておく必要がるのです。
AUTOPOIESIS 238/ illustration and text by : Yasunori Koga
古賀ヤスノリ サイト→『Green Identity』