『文化的な違い』

イラスト こがやすのり Yasunori Koga

 文化にはそれぞれの範囲がありその範囲は重なっていない。たとえば奇数しか見えない人と偶数しか見えない人がいたら、同じ場所へ旅をしてもすべての意見がすれ違う(同じ世界に生きていない)。このように文化的なレイヤーが違うと、思考や価値判断、意味や行動様式にいたるまですべてが違ってきます。
 夏目漱石がいう所によれば、むかし舞台で人が刺されそうになる場面で観客が助けようとした事があった、ということです。これは舞台が現実とは別の世界であり、舞台を見るときは現実の「意味を括弧にいれる」という文化をその人は持っていなかった。この「意味を括弧にいれる」自由が文化水準を計る一つの目安でもあります。食事は栄養摂取と最短で食べることを考えると手づかみが合理的ですが、面倒な箸やナイフなどを間に挟む。原始的な合理性を括弧にいれる文化がある。
 外科医は患者の意味を括弧に入れる訓練を積んでいます。ヌードデッサンをする画家は人体(裸)の意味を括弧にいれる。これは私がヌードデッサンを千枚ほど描いた経験からも言えることです。ちなみに絵でいえば洞窟画もモナリザもマンガも全て「様式的な意味の違い」がなく偏見もない同じ「絵」として見る状態(括弧入れの自由な状態)がより高度な文化水準です。原始的、感情的、打算的(損得的)なものを括弧にいれる自由が文化水準をあげ、そのレベル同士でのコミュニケーションを可能とするのです。

AUTOPOIESIS 282/ illustration and text by : Yasunori Koga
こが やすのり サイト→『Green Identity』

「情報と直感」

イラスト こがやすのり Yasunori Koga

 人は自分の経験則をもとに未来を予測して動きます。まさかそんな大袈裟なことして生きていない、と思うかもしれません。しかし例えばグラスをテーブルから落とすと割れる。それが分かったら、次は落とさないようにする。あるいは嫌な思いをしたら、それに至るプロセスには近づかない。これらはみな過去の経験という既にある情報を吟味し分析している。つまり統計です。さらにこの統計情報から未来を「たぶん割れるだろう」と予測する。これが確率です。つまり統計と確率は似ているようで別の概念であり、また別概念であるが、深く関係しあっています。
 自分の経験によってできた統計情報(一次情報)は、自分の未来予想(確率論)にとって有益なものです。つまりネットや他人の情報(二次情報、三次情報)ではなく、自分で接した一次情報がつくる「自分の統計情報」です。この情報の蓄積が未来の確率予測の精度を上げます。これが「直感」です。逆に言えば、他人やネットの二次的情報をいくら蓄積しても直感の精度は上がらない。逆に「ただの否定情報」の蓄積で感覚は二の足を踏むようになる。
 人間は有機的な情報システム系です。機械とちがい全体的で感覚的な情報処理が最大の長所。微細な空気の揺らぎから、微妙な表情の変化まで、全体的に感じ取ります。もしネットの情報を先にいれて、目の前のことを「もう知っている」と判断したらどうか。全体的な感覚システムは閉じられ、一次情報は蓄積せず直感も働かなくなる。これが現代の問題です。
 画家が目の前の失敗を大量に蓄積することで、失敗のルートを直感できるようになるように、「自分で感じた情報」を信用することで、統計と確率の有機的な繋がりが保たれ、未来の「確率論的な予測」(直感)の精度が上がっていくのです。

AUTOPOIESIS 281/ illustration and text by : Yasunori Koga
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『ファンタジーの泉』

イラスト こがやすのり Yasunori Koga

 一般にファンタジーとは空想や幻想の世界、神話や童話にあるような非現実の世界と理解さてれいます。たしかにファンタジーの世界は現実にはあり得ないものばかりです。しかしファンタジーの「役割」は現実的なもの。こどもは剥ぎ出しの現実に放り出される前に、ファンタジーという現実を豊かに暗示する「メタフィジカルな世界」に親しむ必要があります。また大人になっても映画や文学などでファンタジーに触れ日常のストレスを発散するひともたくさんのいる。
 こう考えるとファンタジーには「自我を守る機能」(傾いた自我を補正する機能)があることが分かります。理不尽な現実から心を守るシェルターとなりえるものが良質のファンタジーであり、特に子供が大人になる大事な時期に必要不可欠なものです。しっかりとファンタジーに守られた時間があれば、自我は柔軟性をもち、現実と創造性の二つのチャンネルを自由にオンオフできるようになる。
 現実と創造性のチャンネルがないと、片方が片方を否定する安易な一元論になります。すると現実で危機的な問題が発生するとファンタジーという足場がないので妄想性の障害が出やすくなります。妄想とは現実の豊かな暗示のない世界です。さらに全てを捨てて更地にしないと問題が解決しない場合(頭では解決不能な飽和状態の時)に、創造性が必要になり、チャンネルがないと破堤します。このように次元を超えた解決や前進が必要なときに創造性(ファンタジー)の「現実的な価値」が出てくる。ファンタジーは創造性を育み、現実を新たに組み替えるための豊かな泉である。この泉を豊かにしておくことが、心と世界の長期的な安定に繋がるのです。

AUTOPOIESIS 280/ illustration and text by : Yasunori Koga
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『結果とプロセス』

イラスト こがやすのり Yasunori Koga

 結果主義という言葉があります。言葉通り結果が全てであり、そこに至るプロセスは問わない(手段選ばず)という姿勢です。この結果主義は数量化を前提とする現代社会の必然的な帰結ということもできます。なぜならプロセスは数量化しにくいからです。しかし人間は機械でもなければ肉体(数量化できるもの)だけで存在しているわけではありません。人間には精神や心もある。心は「数量化できる理屈」だけでは納得が生まれません。たとえば大事な人が事故で亡くなったとき、これこれこうで心肺停止になりました、では納得できない。なぜ死んでしまったのかという「意味」を問わざるを得ないからです。
 結果にあるようにみえる意味は実は幻想です。本当に意味があるのはプロセスです。たとえば山の山頂へ苦労して登ったとします。その道中にいろいろとある。そこに意味が発生します。そして最後に山頂へだどりつく。その時に感じる意味はプロセスが支えるものです。もしヘリコプターで一瞬でいけば、結果としての意味はほとんどありません。ゆえにプロセスが意味を作ります。そして機械ではない人の心は「意味を大事にしなければ病へと傾く」ことになる。だからこそプロセスが大事なのです。
 プロセスとは文脈ということもできます。一連の流れが今現在の意味を支えている。もし結果のために手段選ばずで来たとするならば、不適切なプロセスや文脈自体を無くしたやり方によって結果の意味が変質する。ゆえに「際限なく結果を求める」ようになる。しかし渇望が癒えることはありません。これが結果主義や成果主義の末路です。そしてそれが欲望と結びついていることも簡単に見て取れます。プロセスはそれ自体を楽しむものであり、結果よりも「意味を作り出す行為」です。結果は結果でしかないという余裕と距離感も生まれます。よって他人をうらやむことも奪うこともない。形骸化した資本主義は成果主義や結果主義を肥大化させました。そして意味を喪失し病理が蔓延した。その解毒剤として効果が高いのがプロセスを楽しみ、誰のものでもない「自分にとっての意味」を色濃く作り出すことです。結果などどこ吹く風。プロセス自体を楽しみましょう!

AUTOPOIESIS 279/ illustration and text by : Yasunori Koga
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『情報の外へ出よう!』

イラスト こがやすのり Yasunori Koga

 世界は常に動いている。川は流れ続け、地球は回転し続けています。止まって見える巨木も緩やかに成長し、巨大な岩もいつかは崩れ去る。この変化する世界を止めて無変化にする方法があります。それが情報化です。走っている鹿を洞窟に描き固定させる。1万年以上前に描かれたアルタミラの洞窟画が今も残っています。これが動くものを固定する情報化の威力です。
 ネットで検索できるものやデジタルで扱えるものは、すでに情報化したものです。つまり本物をピン留めするように固定させた仮の像です。この仮像である情報は変化する本物と比べると、断片であり数字のような抽象という不確かさをもつています。しかし便利であることは間違いなく、文化の発達には欠かせません。現代はこの情報がデジタル化とネットによって世界を覆っている。
 人々が現実よりも、デジタル情報を鵜呑みに蓄積することが大半になると、ある現象が起こって来ます。つまり動いていた世界が止まってしまう。多様な意味は一義的に固定され、分類されたものは再編されず、数量化できないものは切り捨てられる。そして人の心も動かなくなる。これは情報化のマイナス面です。なので情報が便利な反面「ものの見方の固定」によって変化や可能性を失わせることを理解する必要があります。無変化な世界から脱出し、生きた世界を自分で認識する。そうすることで世界とこころは再び動き出すのです。

AUTOPOIESIS 278/ illustration and text by : Yasunori Koga
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