テクノロジーの急速な発達によって便利になった反面、それまで必要だったものが無くなってしまう、ということがしばしば起こります。たとえば、携帯電話の発達でダイアル式の黒い電話は消滅し、デジタルカメラの普及によりフィルムが消滅、スマホの発達により紙で広げる地図も消えました。デザインの世界ではフォントの普及により手書きで描くレタリングというジャンルが消えました。これらはすべて便利になり時間の節約にもなるので良いことばかりです。しかし本当に良い事ばかりなのでしょうか。
たとえば、昔の電話は指でダイヤルを回し、ダイヤルが戻ってきてからまた回すという面倒な手順が必要でした。しかしその行為は「離れた人」(他者)と対話するための儀式のようなもので、そこには無意識において心の準備であれ繋がることの価値であれ、いろんな意味が発酵する時間になていた。これは写真のフィルムに現像する時間が必要であることも同じく「待つ時間」に期待や意味が増幅されました。またスマホのナビにより、道に迷うことで世界(風景)を分析し、偶然の出会に感謝する機会もなくなった。
テクノロジーの発達によって合理化された時間や労力によって、人は開放されたことは間違いありません。しかしそれまでなにげに自己を支えていた「意味のある時間」や労力が消滅しました。それらは「空白の時間」であり数量化できないので見落とされがちです。AIが登場してその傾向が限界の状態にきているいま、失っているものに目を向ける必要があります。「意味のある時間」でしか心の発酵や化学反応が起きない領域がある。この世界観を大事にすることで、はじめて日常世界が安定的に支えられるのです。
AUTOPOIESIS 265/ illustration and text by : Yasunori Koga
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