『個性と運命』③

 自分を外から見ることで、自分の個性が初めてわかる。よって自分を外から見ている他人の意見は貴重である。この視点を持てば、自分自身の外へ自分が出ていくことが大事だということが分かります。自分自身から脱出することで、やっと自分を外から眺めることが出来るようになる。このイメージを持つと、自分の内側での自分本位が、それほど自由ではなかったことが分かります。むしろ自分という枠の中の不自由な存在であったと。
 深層心理学において「自我」と呼ばれるものは、自分自身が「これが自分だ」と意識できる領域を指す言葉です。しかし人間には無意識の領域もあり、そこを意識化して自我を広げていかないと自分は見えてこない。もし自我の領域が狭いままだと不安定になり、つねに防衛しなければならなくなります。もちろんその中に入っていると、外からは自分が見えなくなってしまう。閉じてしまうと外部というものが完全になくなるからです。
 自我という自分から脱出し、外から本当の自分の全体を眺める。これは地面の上を歩いていた状態を終わらせ、地球を宇宙から眺めた状態と似ています。地球からロケットで宇宙へ出てみた時に、初めて本当の地球の姿が分かった。これは外敵を恐れ内部に閉じこもって防衛していては知りえなかったことです。よって外部へ出るためには「保守心を好奇心へ変える」必要があります。つまり自分自身から脱出するためには「未来に対する好奇心」が必要なのです。

AUTOPOIESIS 217/ illustration and text by : Yasunori Koga
こがやすのり サイト→『Green Identity』

『個性と運命』②

 他人のほうが自分の個性を理解している。この視点は「自分のことは自分が一番分かっている」という考え方からすれば受け入れ難いものです。一番近くにいる人が一番良く見えているという理屈です。しかし、たとえばビルの入り口に立つとビル全体のデザインは見えなくなる。ましてやビルの内部に入り込めばなおさら何も見えなくなります。
 距離が近いと全体的な理解が難しくなる。これは物質に限らず組織や会社のようなシステムも同じで、中に入り込み同化すれば何も見えなくなる。全体とは「外部から見る」ことでしかつかめないものです。つまり全体を把握するには、対象との「適切な距離」が不可欠になります。この距離なくして全体の理解はありえません。
 自分の個性や人格も同じく、自分に対する「適切な距離」によってはじめて把握が可能となります。「外部から見る」ことによってはじめて全体がハッキリする。逆にいえば内部から自分の全体を把握することは決してできない。であるがゆえに、他人の意見に耳を傾け、ときに習慣とは違うことにも挑戦して、その結果を自分の「新しいデータ」として眺めてみる。自分の個性は自分自身から脱出することで、はじめて見えてくるものなのです。

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『個性と運命』①

 分析心理学者のユングは運命とはその人の個性が作り出すもので、つまり運命とは個性のことであると言っています。ゆえに自分の個性を受け入れるかどうかで、自分の運命を受け入ることが出来るかどうかが決まる。運命とは動かしがたい自分にとっての事実であり真実です。いくら拒絶しても最後までついて回る。そういった運命を受け入れることができれば、自分と世界はピッタリと歯車が合い安定して動き出す。こう考えると自分の個性を把握して受け入れることが、思いのほか大切であることが分かります。
 自分の個性は自分が一番分かっている。そう思うのは当然です。しかし自分が持つセルフイメージと、他人が自分に対してもつイメージはズレていることが殆どです。そして他人の意見のほうが客観的に事実に近い。つまりそれだけ他人のほうが自分の個性を把握しているということです。ならば自分を他人のように見ることが出来れば、ある程度の距離を取って眺めることが出来れば、自分の個性を正確に把握できる。
 しかし自分から距離を取って眺めることはなかなか難しいことです。「自分を客観的に見る」のは言葉でいうほど簡単ではありません。よって他人の意見は大きなヒントになります。さらに自分がやってきたことを、他人がやったことと過程して眺めるという手もあります。しかしもっと簡単な方法は、日常において創作をし出来た作品を自分なりに分析する。そこで思ってもみない自分の側面を発見すれば、それは今まで見ていなかった自分の個性を認識したことになります。そしてこのような個性があったからこそ、現実がこうなのだという理解も得られる。哲学者ニーチェは「自分の運命を愛しなさい」と言いました。つまりそれは「自分の個性を知りそれを愛しなさい」ということなのです。

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『思い入れの原理』

イラスト こがやすのり

 植物を種から育ててみる。まずは芽がでるまでに時間がかかります。もどかしい時間がすぎて芽がでたら、今度はある程度の苗になるまで予断を許さない。そうして段々と大きくなってその品種本来の姿があらわれます。いろんな苦労を経て育てた植物には思い入れがあり愛着がわく。ここにはプロセスを「自分との関係」において経験しているからこそ生まれる「思い入れの原理」があります。
 もしある程度の大きさの苗を買って来たとすれば、途中で枯れる心配はありません。もちろん手頃な苗を買うほうが一般的で、種から育てる苦労やリスクを負う必要はないでしょう。しかしリスクや苦労がある所には、対象を愛するための「思い入れの原理」が発生します。危険な所にこそ宝があるように。
 ロープウェイで山に登るよりも、自分の足で登るほうが山頂に至った時の感動は大きい。何事も自分自身で作り上げて到達するほうが、世界に対する興味や愛着がわきやす。これは料理をすることであれ、絵のスタイルを作り上げることであれ、人生それ自体であれ、そこにはすべて同じ原理が働きます。「既にあるもの」に頼らずに、「自分の力でつくるプロセス」を大事にすることで、自分自身が接している世界は圧倒的に豊になるのです。

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『創造の心的効果』

イラスト こがやすのり 古賀ヤスノリ

 何かを創造する。クリエイティブによって新しいものを生み出す。それは既にあるもののコピーや模造品ではなく、これまでに存在していなかったものを作り出すということです。この意味で創造の結果として何らかの「もの」(物質)が生まれる。しかし創造の利点は物質的なものだけにとどまりません。
 創造するには、自分自身の主体的な能力を発揮する必要があります。この自らの力を行使する能力を社会心理学者のエーリッヒ・フロムは「ポテンシー」と表現し、精神的な病はポテンシーのレベルが低く「生産的に生きる」ことができない状態だとしています。
 フロムが言う「生産的に生きる」とは、ポテンシーに支えられた「創造による生産的な生き方」のことです。このポテンシーと創造する能力が落ちると心は不安定になり、思考や行動が乱れてくる。彼の「創造できない人は破壊をこのむ」という表現はそれを示しています。この破壊的な方向を解決する唯一の方法が、「創造可能性とポテンシーを生産的に利用する能力」を高めることだとフロムは断言しています。創造する力を高め行使することは、物質生産よりも人々の心にこそ、最も必要な効果をもたらしてくれるのです。

AUTOPOIESIS 213/ illustration and text by : Yasunori Koga
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