樹の枝からリンゴがぽとりと落ちる。万有引力というものがあるので、枝から切り離せばリンゴは必ず地面に落下します。落下の原因は枝から切り離したことであり、原因と結果が連続してつながっている。この原因と結果を因果的につなげる考え方を因果論と言います。過去(原因)と未来(結果)を結びつけ決定してしまうので決定論ともいいます。決定することでそれを逆算して、結果のために原因を操作的に作り出す。このおかげでロケットは月まで行くし、同じ機械は同じ機能を発揮できます。
しかし、例えばある人がAという学校を卒業して幸福になったとして、それを見たひとがAを卒業することが幸福になる方法だと、因果的に繋げて決定するとおかしなことになります。人が違えば同じことをしても結果は違ってくる。実際は「結果があるときだけ原因を特定できる」だけで、二つを結びつけて逆算などできなません。しかしこういった決定論が社会に蔓延してもう長い月日が経っています。
さらにこの決定論的な考え方は、人々のやる気や好奇心も減退させます。未来(結果)を先に知ってから始めないと不安というのは、因果論や決定論に支配されている証拠です。しかし推理小説が示すように結末を知ってしまうと好奇心を維持するのは難しい。ネット時代はなんでも簡単に結果(答え)を知ることができるので、決定論的な世界観に入りやすい。決定論とは実は出口のないなパラドックスの構造で、その中に入ると決定した世界から出られなくなってしまう。絵の描き方から人生の歩み方まで「ああすればこうなる」式の決定論を捨てたときから、本当の意味での未来の豊かさが現れてくるのです。
AUTOPOIESIS 237/ illustration and text by : Yasunori Koga
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