『信頼』

 大工さんが建物を建てる。二階部分は届かないので、周りに足場を組む。その足場で二階部分の作業をします。もし、大工さんが足場を組んだ人の技術を信頼していなかったら、作業をしても落ち着きません。仕事が手につかないということになります。イライラしてストレスがたまってしまう。
 人は自分が信用できる足場でしか、落ち着いて作業ができません。信頼できる地盤でしか通常の能力が発揮できない。信頼とは何か。それは自分を預けても大丈夫だという感情のようなものでしょう。あるいは、存在の基盤を支える実存的な確証。世界に対する信頼がないと、そこで生活する人々は不安定になります。

古賀ヤスノリ イラスト

 では自分の足場となる世界を信じるにはどうすればよいのでしょうか。人は「壊れたつり橋」を渡る時、足で強度を確認しながら進みます。「ここは大丈夫だ」といった感じで。少しずつ信頼できる足場が広がる。広がった足場から新しい風景が見える。信頼とは「表面的なこと」ではなく「本質的なこと」(事実)です。本質に目を向けて、信頼できる足場を広げることで自分の実力が自然に顔を出す。自分の思いがスムーズに表現できる状態がここにあります。

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『社会的な価値』

 社会的な価値観というものがあります。「人々が共通に考えている」と思われている常識のことです。この常識は時代によって変化します。さらに一時的な社会状況によっても左右されます。社会を水槽に例えるならば、水槽の中の熱帯魚は水槽という社会環境を常識としている。もし水槽が傾いたり揺れたりすると、その変化を社会的な価値として熱帯魚は常に受け入れて生きます。
 もし水槽内が良い状態にあれば、その中の常識も魚たちに良い影響をあたえます。しかし水槽が不自然に振動したり、ろ過されていない水や有害な物質が入ってきたらどうか。もし熱帯魚たちがそれに気づかなければ、いつも通りの常識を受け入れて生活することになる。もちろん熱帯魚たちは悪い影響をじわじわと受けていく。

古賀ヤスノリ イラスト

 社会的な価値という「見えない環境」は、クリーンであるか汚染されているかが分かりにくい。中にどっぷり浸かっていては分からない。それらを適切に判断するには「外から見る」しかありません。それは、社会的な価値(常識)が「常に正しく無条件に従うべきもの」という考えを一度捨てることでもあります。そうして「見えない環境」の汚染に気づいたときには、人々の手によって、適切な状態へと戻す必要があるのです。

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『風がふくまま』 

 巨匠アッバス・キアロスタミ監督の『風がふくまま』を観る。
 ある特殊な葬儀を取材するため地方の村を訪れた主人公。彼は死の間際にある老婆の葬儀を待つ。仕事のために人の死を望む自分にうしろめたさを感じつつも、仕事を全うしようと努める。しかし予定に反して老婆は死なず、時間切れとなり企画も打ち切りとなる。それまでの使命から解放された主人公は、死を望んでいたはずの老婆のもとへ医者を案内する。

 人は目的に支配されると、他人の死を望むほど墜落する。その究極状態が戦争でしょう。映画の主人公は、ある支配から解放された瞬間から人間らしさを取り戻します。本来従うべきことが見えなくなる状態を、成果主義という病が作り出す。戦争を回避するヒントすら、この映画には隠されているのではないでしょうか。

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