『数は質を生むのか?』①

古賀ヤスノリ イラスト

 数は質を生むのか。これはあらゆる領域に横たわる普遍的なテーマです。よって漠然としたゴールは直感しながらも、細部は不明なまま、論考を進めることになります。つまり行き先が分かって進む「決定論」を捨てて、未知の領域へと分け入るということです。実はこのプロセスと今回のテーマは本質的に重なっていると思われます。その直感を順を追って証明しいく事にしましょう。
 まず「数」とは何か。「数」とは抽象概念であり、実体ではありません。三人は3に置き換えられますが、実体として三人が先にある。5つのグラスは5個の実態を5という数字に置き換ることができる。さらに数には123…と順序があります。抽象的な規則性がある。それに対して「質」には実態を置き換えることも、抽象的な規則性もありません。「質」とは内容であり、本質であり、純度のようなものです。
 たとえばリンゴが3個あるとします。数としては3に置き換えられます。しかしその中の一つが腐っているとします。するとそのリンゴの「質」が悪いと言います。内容が悪く、純度が低く、本質的でない状態です。「数」はそういった「質」を無視したカウントにすぎません。この二つの概念は全く別種のレベルに属するものであり、決して連続してはいません。
 よく「数が質を生む」という言葉を耳にします。練習をたくさんすることで何かが上手くなる。たとえばテニスや書道や小説の訓練など。しかし本当に「数」を増やすことが「質」に繋がるのでしょうか。必要な技術や知識の「数」を増やすことが「質」の向上なのでしょうか。もしそうなら進化の過程で、魚が繁殖し「数」をどんどん増やすことが進化に繋がることになる。しかし魚は現在も魚として存在し続けています。魚から進化を遂げた生き物は「別の方法」によって枝分かれ的に進化しているのです。
 進化とは「質」の向上です。進化の「質」を段階に分けることで、魚類から両生類、爬虫類から哺乳類という「質的段階を見ることが出来ます。しかしこの段階の間には断絶があり連続していません。魚が「数」を増やすだけでは一向に両生類にはならない。なぜなら魚が「数」を増やすことは、魚のレベルを固定することだからです。ここに「数」を増やすことのパラドクスがあります。進化や質の向上からすると、「数」を増やすことはむしろ逆行を意味することになるのです。
 

AUTOPOIESIS 0083/ illustration and text by : Yasunori Koga
古賀ヤスノリのHP→『Green Identity』

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