『うかがいしれない世界』

古賀ヤスノリ イラスト

 デヴィッド・リンチ監督の映画はどれも「うかがいしれない世界」が描かれている。社会現象となった『ツインピークス』にしても『ロストハイウェイ』や『マルホランドドライブ』にしても、すべて日常では考えられないような「理解不能な世界」に足を踏み入れ、奇怪な現状に取りつかれていく有様が描かれています。
 この「うかがい知れない世界」は、まだ知らない世界であり、日常に対する非日常であり、その意味ではいまだ見ぬ可能性でもあります。「どうなるか分からない」という現代人がもっとも苦手とする世界。よって「うかがい知れない世界」を事前に把握して出かけることなど出来ないのです。
 未来の可能性を二つに分けて、一方を「良性の未来」、もう一方を「悪性の未来」と分類してみます。リンチが描く世界は明らかに「悪性の未来」、悪性の「うかがい知れない世界」です。リンチ映画の登場人物たちはそれをどこかで直観しつつも、その世界の魔力に惹かれて足を踏み入れていく。これは人間の無意識に潜む側面を描いているともいえます。
 ジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』(1903年)という小説では、船乗りの主人公がジャングルという「うかがい知れない世界」を恐れつつも、段々と惹かれていく心理が、不気味な表現で描かれています。彼の旅の最終目的は、闇の奥で「うかがいしれない世界」と完全に同化した人物と出会うことなのです。「悪性の未来」の引力は時に、抗えない力で人間に大きな作用を及ぼすのです。
 さらに300年以上も前に書かれた、同じ船乗りが主人公の『ロビンソン・クルーソー』(ダニエル・デフォー)でも「うかがい知れない世界」の引力によって、安定した生活を投げ捨て冒険にでる様が描かれています。彼はそのおかげで何度も遭難し、無人島で暮らす羽目になる。しかし、そこで得た経験はかけがえのないものであり、「悪性の未来」とはい言い難い「逆説的な何か」が表現されています。
 先にあげた三人の芸術家は、それぞれのやり方で「うかがいしれない世界」の引力を描いています。このような引力に私は引かれない、そうみんな思っている。しかし全てが把握された決定論で進む現代人にとって、把握できないがゆえに「うかがいしれない世界」への耐性は弱いともいえます。私たちは隠された構造や、個人の力を超えた大きな力に対して「根本的な諦め」に陥ってはいないでしょうか。「正しくあろうとしても無駄」だと流されるままになってはいないでしょうか。それこそが「悪性の未来」に引かれている証拠であり、リンチやコンラッドが描いた奇怪で不気味な結末の入り口なのです。
 300年前にロビンソン・クルーソーが孤独な無人島で発見した真理があります。それはどんな状況下でも「決して諦めてはならない」ということなのです。

AUTOPOIESIS 0091/ illustration and text by : Yasunori Koga
古賀ヤスノリのHP→『Green Identity』

Scroll to top