世の中にはトランプを使ったゲームがいろいろとあります。誰が考えたのか不明ですがそれぞれのルールに従った面白さがあります。お互いにルールを守り合うことでゲームが成立する。これはコミュニケーションが成立する原理とよく似ています。たとえば「七並べ」のルールしか知らない人と、ポーカーのルールしか知らない人同士では、同じトランプを使っていてもゲームは成立しません。これは当然です。しかし同じ「七並べ」のルールを知っていてもゲームが成立しないときがあります。それはどちらかがルールを破るときです。このような非対称な関係では一見してゲームが成立しているようで、実質的にはゲームが成立することはありません。
トランプを言葉に置き換えても同じことが起こります。一見おなじ言葉を話しているようでありながら、対話が成立しないときがある。たとえば会話をしていてもどちらかが(答えありきで)一方的に無視している時。あるいは相手の情報を、自分の都合の良いように歪曲している時などです。同じ言葉を話していても、それでは対話が成立しません。これならお互いのルールが平行状態にある外国人と、片言で話すほうが対話は成立します。つまりコミュニケーションの成立の一番の条件は、言葉ではなく対話の姿勢や、お互いのルール(価値体系)が平行であるということです。
通常はコミュニケーションが成立することが多いので、お互いの価値体系が平行にあることを意味しています。もしお互いの価値体系が少しずれていても、対話によって平行状態をつくることができます。ときに苦労することがあっても、お互いの対話成立の可能性はつねにあります。しかしどちらかが対話を拒んでいたり、対話を成立させなことで優位性を持とうとする場合は成立しません。しかしこれは「言語による対話」での話です。例えば「絵よる対話」であれば、そのような状態でも対話が成立します。たとえばゴッホが人々との対話を拒むようにして描かれた絵をみて感動する。絵の中からいろんなことをイメージします。影響を受けて作品を作ることもある。この場合は言語的な価値体系が非対称であってもコミュニケーションは成立する。そう考えると「絵による対話」は、言語的に解決不能な問題を、別の次元から根本的に解決する可能性を秘めているのです。
AUTOPOIESIS 185/ illustration and text by : Yasunori Koga
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