家族や友人は良きもの。しかし時にそうでない場合もがあるらしい。精神科医であるフロイトは臨床において、患者の治療の邪魔をする家族や友人がいると苦言を呈しています。そういった人たちと付き合っている(依存している)人を治すことはできないとも述べています。つまり治療可能な重度の患者よりも、悪い影響を与える家族や友人に依存している人のほうが、正常化の見込みがないということです。この視点はまだ一般化しておらず、心の病などは本人にだけ問題があるという考えが一般的です。しかし周辺の人々にも原因がある。もちろん問題のある人間関係に依存している本人の問題でもあります。
フロイトが匙を投げる「悪性の人間関係」は、依存関係であり一人に病理を押し付けた構造(最小は二人の関係)でもあります。よく家族の中に一人だけ問題児がいるという構造を耳にします。しかし精神科医の中井久夫さんによれば、家族のなかの一番まともだと思われている人物が、家族の中の問題児を作る原因である場合が多いと書かれています。つまり家族の病理が一人に背負わされており、その主導者が家族の中にいるというこです。これは原因と結果が目に見える形で繋がっていないので厄介です。
家族の中の問題児(病理)の原因が、最もまともだと思われている人である。つまりこれはバレないための偽装とも考えられます。家族だけに限らず、相手に悪性の影響を与える者は、社会的にまともであるという肩書(あるいは振る舞い)で偽装しており、一見めんどう見も良い。そのことにより患者は依存度が高くなり、フロイトが警戒するような「悪性の人間関係」が出来上がる。本来「健全な人間関係」とは、社会的な地位や立場による優劣などなく、本質的に公平かつ平等なはずです。相手がどんなに酷い状況に置かれていたとしても、コミュニケーションは平行になされる。人がどんな状況からでも復活可能であるためには、普段から「健全な人間関係」を築いておく必要があります。そのためには依存関係や支配関係のような上下の関係(優劣の関係)ではなく、公平かつ平等な「お互いが自立した関係」を保つことが大切なのです。
AUTOPOIESIS 225/ illustration and text by : Yasunori Koga
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