技術を加減する。あるいは目的に合わせた技法やスタイルに切り替える。こういった行為はなぜ必要なのでしょうか。たとえば手もとにボールペンしかないとき、あるいは雑誌の切り抜きと糊しかないとき、あるいは砂浜に流木しかないとき、メタ技術を習得していれば作品を作ることが出来ます。道具に対して柔軟に対応できる。さらに時間も10分しかないから描けないとはならない。つまりどんな制限時間でも有効に利用できる。もし道具や時間、あるいはその日の気分に応じた描き方ができなければ、それだけロスが生まれます。時間や制作意欲は有限であるからこそ「創造の経済性」が重要となります。
『メタ技術』による「創造の経済性」を維持することが、物事の継続に必用不可欠なことは直感的に理解できるものです。たとえば全力疾走だけでフルマラソンを走ることはできません。道のりに合わせたエネルギーと技術の加減が、逆に効率的な走りにつながります。長期的な結果をもたらす技法には「抑制と配分の自由」(柔軟性)が必要です。ただの技術(固定化した技法)にはその自由がなく、それは「メタ技術」によってはじめて可能となります。
「創造の経済性」はフルマラソンを走り切るためのペース配分であり、ムダなエネルギー消費を回避するシステムです。これは絵を描き続けるときも同じで、一つ一つの絵に全力疾走かつ同じ技法の連続をやれば、時間的にも心的にもロスが蓄積してゆき続かなくなる。そこには経済的な配分もスタイルの切り替えもないからです。自由な調節による“状態の変化”を許容することで、フルマラソンを効率的に走り切ることができる。しかしそれは「変化しないもの」によって支えられています。その変化しないものとは「ペース」と呼ばれるものです。次回はこの「創造の経済性」を支える「ペース」について考えてみたいと思います。
AUTOPOIESIS 232/ illustration and text by : Yasunori Koga
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