たとえば絵を習うとします。毎回4時間かけて作品を仕上げる訓練を続ける。そうして描けるようになる。つまり絵の技術を習得したことになります。しかしいきなり10分でしかも道具を変えて描けといわれたら、どう描いてよいか分からなくなる。これはまだ技術がメタに達していない状態です。料理だと知らないレシピのものは作れない、という応用のきかない技術レベルです。状況に応じた「加減の自由」がない状態ということもできます。
「メタ技術」は思考と技術の結びつきによって生まれます。技術の一つ上の次元にある技術です。10分で絵を描く必要があるとき、どう描くかを思考し(慣れると無意識で)完成へ持っていく。同じ道具で4時間ないと描けないので間に合わなかった、とはならないのです。ただの技術と「メタ技術」にはこのような違いがあります。そして切り替えや加減のない技術をいくら訓練しても「メタ技術」に到達することはありません。
なぜ「メタ技術」による加減や技法の切り替えが必要なのか。そしてそれが継続とどのような関係があるのでしょうか。もし4時間もかけて絵を描きたくないとき、あるいは絵具を使いたくないとき、さらにはデッサンのいらない技法で描いてみたいとき、「メタ技術」を獲得していればすぐに対応できます。それができなければストレスになることもある。これはヤル気にも関わることです。そういったロスはできるだけ回避するのが望ましい。つまり「創造の経済性」を維持するためには「メタ技術」が必要なのです。次回はこの「創造の経済性」について考えてみたいと思います。
AUTOPOIESIS 231/ illustration and text by : Yasunori Koga
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