『バランスについて』

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 バランスとは釣り合いや均衡がとれているということ。つまり一つの塊ではなく分散した形で全体として安定するということです。たとえは「車の両輪」などと表現することがあります。これは二つあるうちのどちらが欠けていても動かないことを意味します。あるいは「栄養のバランス」といえば多数の要素に釣り合いがとれており、その均衡に偏りが出てくると病気になってしまう。つまり構造を分散させて安定をはかるときにバランスか必要不可欠なものになってきます。
 そもそもなぜ単一ではなく構造を分散させる必要があるのでしようか。構造が単一であればバランスを取る必要などありません。例えば岩のような一つの塊なら、動かないのでバランスをとる必要はありません。バランスが必要なのは動くものであり、そのままでは動かなくしてしまうものです。車もシステムも身体もこころも、全てバランスをとることで初めて健全に動き続けることができます。
 バランスに必要な分散構造は「相反するもの」の相補的な釣り合いによって維持されます。燃焼と冷却、稼働と停止、主観と客観などの両極のバランスが基本です。その二つバランスによってシステムが健全に維持される。絵の描き方でいえば「自由な表現」と「構造的な表現」(決められた表現)の両輪のバランスをることで偏りが回避されます。こころであれば、「内的自己」と「外的自己」のバランスを保つことで病理が回避される。「相反するもの」を排除せす許容することで、バランスという分散構造がうまれ、単一では決して得られることのない「変化に満ちた世界」(有機的な世界)の調和が獲得されるのです。

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『倫理的な免疫』

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 人生には良いことも悪いこともある。とくに人生の前半で悪いことに遭遇してしまうと、以後は悪性のものが入ってこないよう扉を閉じてしまいがちです。しかしそれでは良性のものも入ってこなくなる。さらに完全に閉じると中が悪性化して出られなくなってしまう。なので扉を閉じずにどれだけ悪性のものを退けるかが鍵となってきます。
 そもそも良性と悪性の区別(倫理的判断)がはっきり付いていないと、片方だけを避けていくことはできません。よって良性、悪性ともに分析が必要です。とくに悪性とはなにかをよく知っておく必要があります。あんがいこの悪性の性質を熟知していないことが、悪性を除去できない原因にもなっています。悪性とは人体ならウイルスや病原体であり精神なら悪い考え方です。ここから発展して例えば建物にもシステムにも、料理にも、絵の描き方にも、あらゆるものに悪性(あるいは良性)というものがあります。
 良性と悪性の性質を分析して熟知していく。まずはこの二つの概念を未分化なままにせず、常に免疫のように判別することが大切です。そうすることでその性質が弱体化するような環境をつくれるようにもなる。たとえば悪性のものが入ってきたとしても、長くは生きられない環境をつくる(人体の免疫反応と同じことです)。そうすれば扉を閉じるという過剰防衛を選択せずにすみます。良性のものが入ってこれる風通しのようい環境こそが、健全な環境なのですから。

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『パンドラの箱』

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 ギリシャ神話には「パンドラの箱」という有名な話があります。ゼウスに決して開けてはならぬと言われた箱を開けてしまい、中からあらゆる災い(災害や戦争、嫉妬や暴力など)が噴出し地上に蔓延してしまう。しかし最後に「希望」だけがかろうじて箱に残ったという話しです。この結末を前向きに解釈すれば、どんなに世界に悪がはびころうとも「希望」さえ持ち続ければ、それらに対抗しうるというメッセージとも受け取れます。
 そもそもパンドラの箱の中には、たくさんの悪と一緒に「希望」もごちゃまぜに入っていたことになります。この状況は善悪の区別がない未分化な状態であり、心理学的にいえば「自他未分化」で「全能感に満たされた状態」を意味します。つまりこの世に生まれる以前の、母体の中にいる胎児の状態です。なのでパンドラの箱を母体を示すものとみることができます。
 人は外へ生まれ出る前の「全能感に満たされら状態」から、外へ生まれ出ることでこの世に誕生する。全能感の状態から、思い通りにいかない世界に引き出され泣くことになる。パンドラの箱から出た世界には、あらゆる障害物があらわれる。それがこの世に誕生するということ(障害物を越える喜びも同時に発生する)。そういった現実に対し「希望」を持ち続けることで、はじめて全能感と引き換えにできる世界を手にすることができるのです。

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『現実逃避の処方箋』

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 一般に現実逃避という言葉にはマイナスのイメージがあります。しかし適量であればまったく問題はありません。映画も音楽も、お酒もある意味では非日常であり現実逃避です。しかしアルコールによる逃避が日常化し、現実に悪い影響を与えはじめると問題となります。あるいは、ある友人たちが現実逃避を共有する仲間だったとして、その人間関係が日常に食い込んできたときに問題が発生してくる。例えばその人たちと一緒に仕事をしだすとか、その人たちの意見で大事なことを決定するなど。これはアルコール依存で現実が侵食されることと同じ現象です。しかしそういった現象を外から正そうとしても、逃避を邪魔することになるので反発をまねいてしまう。
 非日常が日常へ流入したときに問題がおこる。つまり逃避が現実を食ったときに病理(パラドクス)がうまれる。アルコールの作用が日常を歪ませ、逃避仲間が生活に影響を及ぼし、推し活が人生と入れ替わる。これらは全て日常と非日常の区別が消えてしまうことで「非現実による現実への流入」を許している現象です。二つの間にあるダム(壁)が決壊して妄想系が現実に流入している。あまりに逃避傾向が強いと逃避量がダムを超えてしまう。そうなると現実を正しく認識し、そこに幸福を作り出す(他者と上手くやっていく)ことができなくなります。
 では逃避と幸福はどこがちがうのでしょうか。逃避はあくまでも非現実(現実逃避は不可能なものへの逃走)であり現実には成立しません。しかし幸福は現実にしか成立しないものです。ゆえに現実逃避を続ける間は現実的な幸福がありえません。アルコールに溺れ、逃避仲間との絆を最優先し、推し活に全てをつぎこむ間は(そうするしかない時期もあるとして)“本当の幸福”はやってこない。つまりイミテーションで手一杯のうちは本物を手にできない。そうならないためには、日常と非日常、現実と逃避の区別(ライン)をハッキリさせることが大切です。さらに現実逃避を適量にし、残りは健全なものへと変えていく。その移行先として最適なものの一つが「現実に非現実を創り出す」芸術活動なのです。

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『幸運な一致』

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 物事にはルールがある。例えばスポーツならテニスやバスケットにはそれぞれのルールがある。ルールは守るべきものなので制限ということもできます。なのでテニスが好きとかバスケットが得意とかいった好みは、受け入れるべき制限が自分の性質に合っているということです。これは芸術でも同じく、絵画や音楽、詩や彫刻といったシャンルは受け入れる制限の違いであり、どれが好きかはルールが自分に合っているかどうかで決まります。
 ルールや制限により出来上がるのが仕組みであり構造です。たとえば面白いゲームや良質な組織、美しい建築には良い構造がある。この構造とそれに関わるひとの性質の相性がよければ、そのジャルで才能が発揮されることになります。上手くいかない場合は、選んでいる構造が自分に合っていない可能性がある。どちらにしろ制限の受け入れは「自己制御」や「自己抑制」を強いるので、それらの力が弱いと制限の受け入れが難しくなり、構造を逆利用して力を発揮することが難しくなります。
 構造とそこに関わる人の性質との間に「幸運な一致」があったとき、素晴らしい現象が起こります。人の才能は開花し、またそのジャンルの魅力が引き立ちます。これは構造や制限が良いからというだけでも、個性が優れているからというだけでもなく、二つが「幸運な一致」をみているからこそ起こる現象です。なのでどのジャンルが人気があるとか、他人が上手くいっているから自分も同じ構造でやろう、といった一般論では上手くいかない。「自分の性質に合った構造」を自ら探すことでしか「幸運な一致」は生まれません。そしてそのためには「本当の自分」(あるがままの自分)をよく知っておく必要がるのです。

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