「自分だけの絵」とはどういう意味か。読んで字の如く、自分ただひとりにとっての絵。誰の絵でもない自分の絵。ということでしょう。しかしもう少し考えてみると、「自分の絵」には「心理的なもの」と「物理的なもの」があることがわかります。たとえば、あの絵は私のパクリだ、という時は物理的には人の絵だけど、発想やアイデアといったいわゆる知的財産の面において自分の絵だといえる。そう言えるためには、他人からもらったり模倣したりしたものでない必要があります。それに対して物理的な絵は、買えば自分のものになるほど曖昧な世界です。
「自分だけの絵」というには、他者が介入せず純粋な自分自身の力で描いたものである必要があります。つまり他者に“忖度”せずに「自分の判断」で出した結果としての絵です。この「自分の判断」というのがまた難しく、人は気づかないところで世間や親の判断などで動いていることが多いくらいです。よって純粋な「自分の判断」かどうかをチェックする機能を内在させる必要もあるし、「自分の判断」を禁止するような雰囲気からは距離をとる必要も出てきます。また自己逃避としての「自分の判断」の放棄にも気をつけなければいけません。
とかく人は「自分の判断」から逃れたがる性質があります。そこから多数の人の判断を同時に採用して安心しようとする傾向もうまれる。これは統合失調の状態でそれを逆方法へ抑制するのが「自分の判断」(自分自身)を守るということでもあります。こう考えると「自分だけの絵」を描いていくには、ことば以上にいろいろと気をつけねばならないことがわかります。しかしその見返りとして、自分の中心と安定がつくられ、描いた絵を自信をもって「自分だけの絵」と呼べるようになる。それが「心の安定」と「他者への尊重」にもつながることは言うまでもないことでしょう。
AUTOPOIESIS 245/ illustration and text by : Yasunori Koga
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