『負の安定について』

イラスト 古賀ヤスノリ

 安定ということばは基本的によい状態を指すことばとして使われます。つまり不安定の逆の概念としてあるものです。よって安定しているということは「不安定ではない」ことを意味します。この状態に価値があることは、誰もが認めるところです。しかし安定することが不安定であるような「矛盾した安定」というものもある。これは一見して安定しているので発見しにくいという問題をはらんでいます。
 安定することが不安定な状態とは、たとえば心も身体も病気になり、その状態が長い間続く時は、病的な安定状態を意味します。これを「負の安定」と呼ぶならば、何年も続く引きこもりや、不満を抱えたままの生活、それを結果的に作り出す組織(例えば家族や国)も、みな「負の安定」という矛盾した安定に陥っていると言えます。
 「負の安定」の一番の問題点は、内部の人々にとってはその状態が安定であると錯覚しやすいことです。そしてその構造を変えることが不安定(恐れ)を意味する。よって現状維持への執着が起こります。精神病理学の木村敏さんは、この現状維持への活動的執着を鬱病の病前気質(シグナル)だと表現されています。変化を恐れ、その状態に対する新しい傾向や影響は一切排除しようとする。このような「負の安定」は、考えることを放棄して、ただ活動だけに執着すると、あらゆるところで起こってきます。この「負の安定」という現象を対象化し、その構造を知ることで、「矛盾した安定」に対する予防や解決策が自然に見えくるようになるのです。

AUTOPOIESIS 206/ illustration and text by : Yasunori Koga
古賀ヤスノリ サイト→『Green Identity』

『多様性のシステム』

イラスト  こがやすのり

 多様性の尊重。この新しいスローガンが建前上にしても一つの社会的な基準となりつつあります。しかしその多様性を真の意味で実現するには問題が山積しているようです。例えば、多様性とは個々の個性が尊重されることで実現しますが、現在の社会はいまだ均一化と平均化を志向しています。つまりみなに同じ能力を平均的に求める社会は、一行に変わる気配を見せない。多様性とはそれぞれの長所と短所の違いを認め合うことで成立します。つまりそれぞれに欠点の場所が違い、それらを適材適所で補う高度な秩序体系が多様性の社会です。
 画一化と平均化の社会から、適材適所の「相補的な社会」への移行には、成果主義と効率化という資本主義の要を捨てる勇気が必要です。成果主義と効率化は、すべてを平均化し画一的な管理を旨とします。例外を許容すれば、数字にバラツキが出てしまう。この意味において成果主義は短期的な結果に依存したシステムだと言えます。それに対する多様性のシステムは、短期的なバラつきを許容し、より長期的な安定を目指す構造です。
 短期的な成果を求めるには、例外をなくし、すべてを平均的で画一的に管理するのが一番です。しかし「資本主義の形骸化」による弊害が社会に噴出してきた今、やはり長期的な安定を作り出す多様性のシステムに移行する時期に来ています。その最初のステップが、お互いの欠点とその違いを認め合い、弱点を補い合う「適材適所」の概念を一般化することです。この相補的なシステムは、人体がもつシステムと同じものです。人体の各器官は重複せずにそれぞれの役割以外のことはできない。しかし全体的に驚くべき機能を果たしています。この意味で多様性の社会は、人体のシステム(私たち自身)が大きなヒントとなると考えられるのです。

AUTOPOIESIS 205/ illustration and text by : Yasunori Koga
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『蝶になる方法』

イラスト こがやすのり

 蝶になるにはサナギの時間が必要である。自然にサナギの殻が破れるまで、殻の中で新しい組み替えを繰り返す。しかし自然にサナギの殻を破り、外へ出て行くタイミングを逃すと問題が発生します。外へ出るのが怖くなり、永遠と殻に閉じこもることになる。サナギの殻に閉じこもることの重要性は「適切な期間」に限られます。それを過ぎれば無意味どころか大きな害がある。
 通常は自然にサナギの殻を破るタイミングはやってきます。それが自然の摂理です。しかしサナギの殻が自分自身で作った殻ではなく、周囲によって人工的に作られた殻だとすれば外へ出るための「自然なタイミング」はやってこない。例えば周囲から押し付けられて出来たような殻には「自然に破れる」ということがありません。よって中にいる者はその構造に永遠と依存することになる。
 サナギの殻は芋虫のレベルで栄養摂取を続けた結果として、必然的に出来たものでなければならない。つまり自分の努力で作り出した殻だからこそ、自分に必要な組み替えと、殻を破る「自然なタイミング」が直感的に把握される。他人が人工的に作った殻には「自然なタイミング」がなく、ゆえに個体を内部で弱らせてしまう。芋虫が蝶になるためには、自分自身で作り出したサナギを、適切なタイミングで自ら破るという逆説が必要となる。そのことがイニシエーションの役割をはたし「芋虫と蝶」という不連続な谷間を飛翔させる力となるのです。

AUTOPOIESIS 204/ illustration and text by : Yasunori Koga
こがやすのり サイト→『Green Identity』

『サナギの殻』

イラスト こがやすのり

 蝶になる前は必ずサナギになる。サナギの状態を拒めば芋虫は蝶になれない。芋虫という栄養摂取に特化した形から、空を飛ぶ複雑な蝶の形へと変わるには、形の「抜本的な改造」が必要です。そのためにあらゆるものを犠牲にして、固い殻を作ってそのなかで形を組み替える。このエネルギーを得るために芋虫は栄誉摂取を行なっていたことになります。
 芋虫の世界からすると、全く動かないサナギは批判に値する振る舞いでしょう。よってサナギを批判し、中にいるものを外に出そうと考える。芋虫にとってはそれが正しいことです。しかし物事は次のプロセスへ進むと、以前の価値観が全く通用しない世界観になっているものです。よってまだ形が定まらないときに、サナギの殻を破ると大変なことになります。出来上がるまでは何があってもサナギの殻を割ってはならない。
 人間もサナギの状態が必要な時があります。それは現在とまったく別の次元へと成長する時です。抜本的な変化の時には、サナギのプロセスが必要になる。そこは今までの価値観を遮断した「守られた空間」であり、組み替えが終わるまでのシェルターとなる場所です。この中にいる間は「引きこもらずに外へ出ろ」という言葉は聞いてはならない。我慢できずに連れ戻されればまた芋虫の世界が続く。蝶になるにはサナギの状態を受け入れ、自然に殻が破れるまで、多様な組み替えを繰り返す必要があるのです。

AUTOPOIESIS 203/ illustration and text by : Yasunori Koga
こがやすのり サイト→『Green Identity』

『グリーンアイデンティティ』

イラスト こがやすのり

 グリーンアイデンティティとは、私が10年前につくった造語で「変化する自己」というような意味合いです。ふつう自己とは確固としたものとして変わらずあると思われています。しかし自己の中は活発に動いていないと安定しない。波の影響を受ける船は、常に舵取りをしなければ安定して進むことができません。不確定要素の高い現実世界では、つねに自己を変化させることで初めて安定が得られます。
 もし「私とはこういうものだ」という決めつけに支配されると、自己は固定され動かなくなります。特に自己防衛の気持ちが強いとそうなりやすい。すると逆に外部からの影響をもろに受けることになり、自己は不安定になっていく。つまり「心の柔軟性」を欠いた状態です。この「自己の固定化」は「自己の情報化」でもあり、まさに現代人の問題でもあります。
 このような心の病の予防として、また物事を創造的に行うために、グリーンアイデンティティという指標を考えました。この理論自体は、熱力学のエントロピーやオートポイエーシス、その他の哲学の概念を組み合わせて作っています。この考え方を基にしていろんなことを実践していく。私がやっている絵の教室などもグリーンアイデンティティが阻害されない形で行っています。自己を固定せずに豊かに変化させることで、本当の意味での「流されない自分らしさ」が維持されるのです。

AUTOPOIESIS 202/ illustration and text by : Yasunori Koga
こがやすのり サイト→『Green Identity』

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