『数による支配』

 民主主義とは民衆(デモ)による支配(クラシ―)です。さらに、日本は間接民主主義なので、民衆の代表が数によって選ばれ、代理として国の意思決定を行う仕組みです。よって多数決という「数の支配」で全てが決まります。このような「数の支配」は資本主義も同じです。数による投票の結果だけが反映されていく。言い換えると「数が少ないものは切り捨てられていく」ということです。
 しかし、現実の世界では「数が多いから重要」ということは返って少ない。むしろ「重要な部分」は全体の一部であることが殆どです。この事実から民衆の「平均値」が国を支配する「ポピュリズム」の危険性が指摘されます。ある集団の最も優秀な人材が、船の舵取りをするのではなく、集団の平均的な人材が、優秀な人材の意見を無視して舵取りする。もちろんこの結果は、平均的な人材が満足することになり、優秀な人材にとっては納得いかないものになる。

ペンギン イラスト 古賀ヤスノリ

 資本主義のような多数決は必ず「格差」を生むと言われています。民衆という平均的な意見が「格差」を生むという逆説。実際は多数決という方法自体が不平等な形式といえます。「数の支配」も結局は支配であって、それは権力を作り出します。格差とは平等に流れないように、権力が力を加え続けることで維持さる。「多数決が平等」という「とりあえず」の取り決めの限界が、真実としての平等を阻害し続けている。そもそも「平等」とは数ではなく究極的には「精神の平等」であり、それらが数によって測られないという前提を喪失した結果の事態なのです。

AUTOPOIESIS 0057/ illustration and text by : Yasunori Koga
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