『なぜ生きているのか』⑤

古賀ヤスノリ イラスト

 『私はいかなる精神的な目的のために生きてるのかしら?』という問いは、社会的なものや物質的なものを排除することで成立する「純粋な問い」です。『何のために生きているのか』といった問いは、この「純粋な問い」のレベルでしか答えにたどり着かない。そして私たちが無自覚に受け入れている資本主義や経済といった概念が、「純粋な問い」に対する不純物であることが分かりました。
 資本主義や経済を一言でいうと「数の原理」ということになります。すべては数を基準としている。よって「純粋な問い」を成立させるためには、数の価値観をすべて排除することになります。つまり『数のために』という一切の行為は、本質的な問題から逆行するという前提を持つということです。
 しかし現代の社会では、すべてが驚くほど『数のために』の行為になっています。全ては数に置き換えられ、その数を増やすことが目的となっている。それが習慣化すれば、実質は無視して数だけを目的とするようになる。つまり、数が目的となっている。資本主義や経済の原理は、数の原理であり、それは人々に「数を目的とすることを強いる」システムであるといことです。これは「精神的な目的」とは相容れないものです。
 「なぜ生きているのか」あるいは「なんのために生きているのか」という問いは、本質的に「精神的な目的」を問う根本問題です。それは物質や数を排除した純粋な問い。この問題の答えが簡単に出てこないのは、現代の社会が人々に「数を目的とすることを強いる」からです。一つの精神をもった人間の本質問題を退けて、ただ社会システムが稼働し続けることを目的とし、そのために人々に「数を目的とするよう強いる」。よって、社会システムに無防備に従うだけでは、『なぜ生きているのか』という問題の答えは見えてこないのです。

AUTOPOIESIS 0075/ illustration and text by : Yasunori Koga
古賀ヤスノリのHP→『isonomia』
映画エッセイ→『Cinepheno』

Scroll to top