『なぜ生きているのか』⑥

古賀ヤスノリ イラスト

 人間には精神がある。ゆえに人は精神的な問いから逃れることはできない。その問いを深める過程で文明が発達し、数々の発明や発見がなされていきました。資本主義や経済も人類の発見品の一つです。しかしどのようなシステムも必ず終わりがあります。人間が人間のために考え作り出してきたシステムが、ある時を境に、人間に数だけを目的とするよう強いる。そこには人間が精神をもった存在であることが無視されています。一言でいうと「反精神」です。
 「なぜ生きているのか」という問いは、精神的な目的を問う問題です。「私はいかなる精神的な目的のために生きてるのかしら?」という問いを究極的に洗練させると、「私はいかなる精神のために生きているのかしら?」そして最終的には、「私の精神とはなにか」へ行き着きます。つまり「なぜ生きているのか」「なんのためにいきているのか」あるいは「どのように生きるべきか」という問いは「私の精神とはなにか」という問いの多様な現れにすぎないということです。
 「私の精神とはなにか」。これが問いの洗練の終着駅であり、ここに答えがあります。しかしこの答えは駅を降りて外へ出かけ、多様な経験を自らが体感していくことで、少しづつ形成されていく答えです。つまり始めから用意された答えではなく、自分自身で創っていく答えです。よって人によって違った答えが出来ていく。しかし個々の問題の答えは「精神」という普遍的な共通項によって重なっている。答えを自ら作り出すことができる世界。とりあえずその世界の入り口である終着駅まできました。
 答えを自ら作ることができる世界。この世界は数の原理が届かないレベルにあります。もちろん物質にも影響を受けない。「なぜ生きているのか」という問いは「私の精神とはなにか」という問いであり、それは自分の精神を少しづつ認識していくことで明らかとなる。誰に強いられるのでもない、自分自身の経験の積み重ねによって答えが形作られていく。数や物質を目的としない世界。そのレベルでのみ、私たちは「なぜ生きているのか」という答えを創ることが出来るのです。

AUTOPOIESIS 0076/ illustration and text by : Yasunori Koga
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