『数は質を生むのか』③

古賀ヤスノリ イラスト

 生物進化は「突然変異」がランダムに起こり、結果的に環境に適した形態が残っていく。人間が訓練によって何かを会得する時は、それまでの訓練のレベルが「経験的に理解」(認識)され、そのレベルから解放されることで質的な向上が発生する。つまり生物進化という物理的な「質的転化」はランダムに起こり、人間の精神的な「質的転化」は「認識」によっておこるという事です。
 この理解から自然を擬人的に見れば、自然が新しい認識を持った時に、「質的転化」が起こることになります。逆に人間の精神的な「質的転化」はランダムな「突然変異」によっておこる。やや非科学的な見方ですが、演繹が困難な事象にたいしては形而上的なレベルでの暫定的な解釈が有効です。そもそも「ランダムに突然起こる」という発想は非科学的ですが、自然科学の分野でさえそのような「形而上的な辻褄合わせ」で体系を保っています。よって自然が認識し、精神がランダムな「突然変異」によって進化する、という視点も導入しておきます。
 自然であれ精神であれ「突然変異」は認識によっておこり、その認識の仕方はランダムである。つまり一般的にパターン化されえないとうことです。言い換えると認識は個々によりさまざまなタイミングがあるということです。ただし認識に到達する条件がある。その条件がないところに認識と「質的転化」はないということです。魚が進化せず魚のまま生きる世界と、魚がエラ呼吸を捨てて陸に上がる世界は別の世界に属しているということです。
 進化のある世界と進化のない世界がある。二つは似て非なる別の世界です。もちろん生きている環境(場所)としては重なっているが、次元が別なのです。たとえば、同じ世界に生きていても、考え方や認識、持っている世界観が違うと、まったく違う世界に生きていることになります。たとえ言葉を交わしても、理解の仕方が違うと、それはもう別の世界に生きている事と同じなのです。自然であれ生物であれ進化のある世界と進化のない世界があり、その二つは場所的には同じでも「質的」には違うのです。ではいったい、この二つの世界を区別する方法はあるのでしょうか。

AUTOPOIESIS 0085/ illustration and text by : Yasunori Koga
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