再生とは破壊の後にやってくる。何かが創造されるときはいつだって混沌から秩序へというプロセスがある。最初から何かが出来上がっているということはない。宇宙の起源も爆発から長い時間をかけて物質化のプロセスが続いている。神話の世界でも混沌から天と地が分かれて秩序が形成される。
そもそも生物が生きるということが、このプロセスを体現している。生命には死がある。しかし生命は生き続けている。むしろこの矛盾のシステムを上手く利用することで、全体的な崩壊を回避しているのだといえる。物理学で言えばエントロピーの回避。思想的な言葉でいえば輪廻転生。
より身近な物事でも、飽和状態というものがある。これ以上なにをやっても変化がない状態。コーヒーに砂糖を入れ続けても最後は溶けなくなる。このように飽和に達した状態は混沌と同じことである。そうなればすべてを破壊するしか再秩序化の道はない。
ヘルマン・ヘッセは『デミアン』で、卵の殻を割って中から鳥が出てくる比喩を描いている。それまで自分を守っていた殻の内部は飽和に達し、外へ出なければ生きられなくなる。つまりこれまでの世界を破壊することで、新しい生を獲得して生きる。これは「破壊と再生のシステム」である。
破壊と再生は「パラドクスのシステム」である。破壊とは一見すべての終わりを意味する。しかし破壊が新しい世界の暗示となっている。物事を表面的にしか理解しないのなら、破壊から新しい世界は見えてこない。よって「破壊と再生のシステム」は、科学的な思考を超えた詩的な領域にある。芸術的なシステムといってもいい。
破壊と再生の間は連続していない。断絶である。よってそこには飛翔がある。連続したものの考え方をしているかぎり、飽和状態を切り抜けることはできない。つまり生まれ変わることはできない。根本的な崩壊を回避し、飽和という避けがたい原理を乗り越えるためには「破壊と再生のシステム」を許容しなければならない。世界の終わりこそが始まりであり、それを繰り返すことが健全なシステムなのである。
AUTOPOIESIS 104/ illustration and text by : Yasunori Koga
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