技法だけで絵を描くと個性を喪失する。これはなぜなでしょうか。この命題を少し考えてみることにします。絵には大きく分けて二つの表現要素があります。一つは技法です。たとえば機械に技法のパターンをインプットすれば絵ができます。AIの研究が進む現代では、かなりの技法で絵を作り出すことが可能です。もう一つは感性です。それは技術とは別種の、人の個性や心とのつながりから生まれる表現です。子供の絵などは技術を超越した感性で描かれます。
絵の技術は一般的に技法と呼ばれます。法則なので、そのやり方に従えばだれでも同じ絵ができる。だからこそ機械が代行可能です。これに対して感性を使った絵は、技法として技術を一般化する前の、その人の個性や感性と直結した表現です。より感覚的なレベルであり、それは「言葉に出来ない表現」ということもできます。
技法は描き方のパターンを一般化したものであり、感性の表現は、一般化できないその人の個性と関わるものです。よって最初にあげた命題「技法だけで絵を描くと個性を喪失する」ということになります。誰でも同じ絵になるということは、そこに個性はないということです。たとえば一人の画家の「技法だけ」を抽出すると、その技法は画家とは切れてしまい、関係のないものになります。ゆえに他人の「技法だけ」を採用しても、自分の個性との繋がりを持ちえません(技法を個性と融合させる方法はまた別のところで)。
感性の表現は、その人の個性から必然的に生まれた、他と並ぶもののない表現です。もちろん絵は技術によって描かれます。しかしその技術は、画家との有機的な「心とのつながり」によって生まれるものです。感性の表現は、まだ一般化されず、描く人の心のリズムとして、つねに内面に存在しています。
人の心は機械のように単調で一律ではありません。複雑かつ生きたリズムであり、そこには多様なイメージが蓄積されています。そこから生まれる表現は「自然の表現」といっても良いものです。この複雑な心の表現が、描く人によって徐々に、直感のレベルではあるが意識化されていく。そして「自分らしい表現」として自由に操ることができるようになる。それこそが、機械的な技法とは別次元にある、自分の個性を表現できる技術です。技法は心との繋がりを持つことで、初めて自分の表現となりえるのです。
AUTOPOIESIS 109/ illustration and text by : Yasunori Koga
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