水面に映る自分にみとれて湖に沈んだナルキッソス。彼は世界が自分だけで満たされてしまい現実を見失ったのでした。それは理性や客観性が損なわれた状態、ゆえに主観的には絶対的な高揚感に満たされていた。自分に関わることはすべて過大評価され、それ以外のものはすべて過小評価される。当然ながら自分を批判する意見は、それが正当であったとしても受け入れられない。それらは全て自分への攻撃と感じられ腹を立ててしまう。
ナルシシズムに支配された人が正当な批判にたいして、過剰に反発するのはなぜか。それは自己肥大化が「恐れから逃れる方法」であり、肥大化した自己に対する批判はその方法を脅かすものだからです。つまり正当な意見や自分の失敗を受け入れることが、最も自分が恐れるものへ繋がっている。ゆえに誤った舵取りを修正することができない。このパラドクスの構造は危機的です。
自分自身だけを強く見続けようとすることは、恐れから逃れるための最終手段です。恐れを抱けば抱くほど自分を肥大化させ続けることになる。そしてそういった行為に対する意見は全てはねのける。すると恐れから(一時的に)逃れられる。しかしその代償として現実との接点を失ってしまう。現実的に自分自身をチェックする状態が損なわれると、あとは行き着くところまで行ってしまいます。
ナルシシズムには良性と悪性とがある。この二つを分類したエーリッヒ・フロムは、ナルシスティックではあるが創造的な人間がいることを指摘し、その条件として「自己チェック」が可能であることを挙げています。現実において「自分が創り出したもの」に関心を持つこと。このセルフチェックによって良性のナルシシズムが発動する。悪性のナルシシズムの場合は自分に見とれるだけで、作り出すものにまったく関心がなく、セルフチェックもないのです。
もし水面に映る自分に見とれていたナルキッソスが、水面の自分から目をそらし、現実の世界で何かを作ってみたとすれば、あるいは自分自身にはっと気づくことが出来たのかもしれないのです。
AUTOPOIESIS 123/ illustration and text by : Yasunori Koga
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