人間は動物である。しかしほかの動物とはちがい随分と進化してきました。最初は単細胞生物(たとえばアメーバー)のような、外部に反応するしかない存在だった。そこから原始的な動物に進化して、脳が大きくなるとともに道具の発明や計画的な思考ができるようになった。そこからさらに長い時間をかけて、現在のような高度な文明を築きあげる存在へと進化しました。
動物の世界は弱肉強食の世界。それは「食うか食われるか」の二択の世界であり「食うでも食われるでもない」という中間の状態がありません。つまり野放しの「自然状態」には基本的に中間の状態(中間の維持)がなく、つねにどちらかに向かうしかありません。「自然状態は常に二極化する」ということです。
高度に発達した人間でも、考えることや社会を安定させるという目標を忘れると、すぐに「自然状態」となり中間を維持することができなくなります。つまり弱肉強食の世界に堕ちてしまう。そもそも人間は動物であり、動物は生きるための生存本能としての「攻撃の欲求」を備えています。高度な社会においてもそういった「攻撃の欲求」がいろいろな所で抑えきれずに噴出する。武力というものはその象徴であるし、戦争は人間が「自然状態」に堕した印です。
戦争抑止の指標が「平和」です。完全な平和はありえないけど限りなくそこへ近づく努力が戦争を抑止する。この「平和」とは「食うでも食われるでもない」中間を維持する状態です。そしてこれは「自然状態」(ある意味で現実)にはなく「想像力」によってしか作りえないものです。現在の国連の理念を作った哲学者のイマヌエル・カントは、お互いの武力をより「高次の組織」に譲渡していくことで永久的な平和状態を作ると考えました。この「高次の組織」も二極化の「自然状態」にはなく、想像力によって維持される中間項です。その平和理念に反する行為が、人間にしか備わっていない「想像力」を失った「原始性に堕した状態」であることは言うまでもありません。「想像力」による「原始性の打破」こそが平和維持と人間進化のプロセスそのものなのです。
AUTOPOIESIS 126/ illustration and text by : Yasunori Koga
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