理解には二つある。一つは「部分的な理解」。例えば絵の「色」について理解する。あるいは「形」について理解する。これが「部分的な理解」です。そしてもう一つは「全体的な理解」。絵の色や形といった要素ではなく、絵の全体を見た時に“感じる”もの。この二つの理解を言い換えると、前者が「学習的な理解」、後者が「経験的な理解」です。パズルで言えば、一つ一つのピースを分析するか、全体を組み上げた時の風景を味わうかの違いです。
「学習的な理解」は客観的な理解であり、だれでも同じような理解に達します。それに対して「経験的な理解」は個人の主観によって左右します。そしてこの「経験的な理解」でなければ知ることが出来ないものがたくさんあります。例えばオーケストラの演奏はヴァイオリンやフルートといった個々の演奏だけではなく、音楽全体を経験しないと分からない。あるいは親切な人と接することではじめて「親切」というものが、方法ではなく経験的に理解される。そしてそれらは経験的に理解することでしか、自ら作り出すことができない。
オーケストラは各部分の演奏者に分かれています。そして各部分を全体へ導く指揮者がいる。指揮者は「全体的な理解」と「部分的な理解」の両方のエキスパートであり、総合的に未来を予見して舵取りします。一人の演奏者にこの仕事が難しいのは、部分的な技巧に専門特化しているからです。各部分を統合し、総合的な状態を把握するには、空気や風景のような全体性を経験的に理解していなければならない。そうすることではじめて総合的なものが作り出せるようになる。知識が細分化し「部分的な理解」が優先になった現代。各部分の統合に必要なのは、実体験によってしか得られない「経験的な理解」なのです。
AUTOPOIESIS 172/ illustration and text by : Yasunori Koga
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