物事は比較によって認識される。たとえば墨で文字を書く。黒い文字は紙の白との比較ではじめて認識されます。もし比較がなければ、すべて白あるいはすべて黒であり、なにも認識することができません。なので「認識は比較によってなされる」という定義に問題はありません。しかし比較のあとにそこに優劣をつけるとなると問題が発生してきます。
たとえばどちらが多いか、あるいはどちらが小さいか、あるいはどちらが高いか。そういった基準を設けて比較したあとに優劣をつける。そしてその優劣に固執すると問題が発生します。優位性に固執するあまり、つねに比較でものを考えるようになり、さらには比較する対象(相手)を低めて優位性を保とうとする。この「優位性への固執」という現象によって、あらゆる社会的、個人的な問題が発生し、物事が停滞することは明らかです。
個人心理学のアドラーは、優位性への固執はコンプレックスが原因だと述べています。つまりコンプレックスがなければ優位性に固執することはありません。さらには深層において自己評価が低いと、その補填として優位性にこだわることになり、無意識に相手を低めようとするということです。本来物事は、ただ存在と事実があるだけです。どちらが上とか下とかいったことは実際は存在しません。ただこだわる人の中にだけある願望としての幻想です。それを捨て去ったときに、はじめて本来的な事実としての世界が現れるのです。
AUTOPOIESIS 180/ illustration and text by : Yasunori Koga
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