人は現実的な危機に直面し、それを解決できない場合は、自己の崩壊をおそれてその危機を良いものだと思い込んだりする。一見とてもへんな心理ですが、この防衛機制は精神分析家のメラニークラインという人が指摘しています。これは事実の改ざんですが、この改ざんは物事だけではなく自分自身にもなされます。つまりセルフイメージの美化という形をとることもある。とにかく現実的な危機に対して解決が難しく、心理的な耐性が弱い場合は「幻想的な解決」をやってしまうということです。
現実的な危機を乗り越えられない場合に、幻想で穴埋めして安定させる。すると当面は進んで行けます。しかし幻想なのでいつかは危機が訪れます。そうしたときに問題を直視し解決すれば、幻想のない現実で進んでいける。しかしその危機に対しさらなる幻想をつくりだし、もう一つ深い幻想世界でバランスをとるようになれば、これはさらに現実へ戻るのが難しくなる。海の浅瀬なら戻りやすいが深海までいくと水面へ出るのが難しくなります。
クリストファー・ノーラン監督の映画に『インセプション』という他人の夢に入り込む話があります。この映画で主人公は、夢の中で寝ている人の夢に、入れ子式に入っていくことになります。「夢のなかの夢」は時間の流れが遅くなっている。さらに下の階層の夢にいくと時間は永遠に感じられるが、脱出が難しくなる。この構造と「幻想のなかの幻想」は同じです。すべてを幻想で満たすともう現実の時間はなく、自分だけで満たされている。いやな事は一切排除された世界。これはすべてが停止していて、しかも本人はそこを現実だとおもっている。映画では主人公が現実から持参したコマを回して、永遠に回り続けるか最後に倒れるかで、夢か現実かを判断します。現実的なマイナス要因が一切ない無変化な世界は「幻想のなかの幻想」なのです。
AUTOPOIESIS 195/ illustration and text by : Yasunori Koga
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