ビジネス書などを開くと「比較優位性」という言葉がよくでてきます。読んで字の如く、他との比較において優位性を保つことです。この発想の根底にはあきらかに競争があります。ゆえに、この比較優位性への固執を放置すると、強烈な競争志向、他を押し退けて自分だけが優位に立つことを常とする殺伐とした生き方にも繋がってきます。心理学者のアドラーが優位性への固執が病理であることを示したように、この比較優位性という基準は、資本主義経済が生み出した負の遺産と考えることもできます。
そもそも比較することには何ら問題はなく、比較なくして多様性の社会は成立しません。問題は比較したあとに優劣をつけようとすることです。つまり物事を上下でしか考えられない状態です。例えばインスタグラムなどで他人の充実ぶりと、自分を比較してコンプレックスを抱く。上手く行っている人との比較で自己否定する。こう言ったことは比較の後に優劣の判断を加えている。しかしそもそも前提も環境も違う事柄同士を単純に比較できるかと言えば出来ないのです。国語と算数の点数を比較できないのと同じレベルで、実際は他人と自分の生活状況は比較できない。
比較できないものを比較してしまえるのは、そこに同じ基準を設けているからです。例えばノートと花は本来は比較できませんが、そこに値段という基準を設けることで比較できてしまう。他人の生活と自分の生活という本来比較できないものを比較する基準はなんでしようか。それは世間体という基準でしょう。この世間体への固執が強いと全てが比較対象になり優劣もついてしまう。ここにアドラー的な心の病を生んでしまう原理があります。心の健康を保つためには、世間体という基準を知りつつも支配されない「距離感」と、比較優位性など意に介さないという「独立した個人」を意識することが最大の処方箋になるのです。
AUTOPOIESIS 211/ illustration and text by : Yasunori Koga
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