自分は何が好きか。たとえばテニスが好き。あるいはフランスが好き。このように対象がハッキリしたものは好き嫌いを明確にしやすい。でも「あなたはどのように生きるのが好きですか?」と問われたら少し考えてしまう。この問いを縮めると「どう生きますか?」となります。これは「なぜ生きているのか」という本質的な問いと繋がりがあるので、簡単には答えが出ません。普段から小出しに考えていないとすぐには見えてこない。
物質や名詞的なものの好き嫌いはハッキリさせやすい。しかし、より深くて曖昧であるが重要なものは判断が難しい。そういったことは普段考えないようにして生きているともいえるし、既成の流れに従うことで考えることを避けているとも言えます。しかし人生の重要な局面では、深い問いに応えないと先へ進めない時がある。そんな時に深い判断に慣れていないと局面がこじれてしまうこともあります。
本当は自分はどう考えているのか。これが好きだから選んだけれど、本当はただ周囲に合わせて選んでいるだけかもしれない。本当は人の判断をまねているだけなのかも。こういった考えの層をかき分けて、純粋な自分の価値判断を発見していく。本当に好きなものは心の奥底に眠ったままかもしれない。それを知ると面倒になる、とどこかで分かっている場合もあります。しかしながら「本当に好きなもの」を無視せず認めて進むほうが「自分らしく」あれる。たとえそれがいばらの道であったとしても「納得が得られる道」であることは間違いないのです。
AUTOPOIESIS 220/ illustration and text by : Yasunori Koga
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