競い合う、あるいは競争。これは相手があって初めて成り立つ概念です。完全に独立(自立)して、他は意に介さずであれば競う方向へは至らない。ゆえに競う(張り合う)ことへの欲求は「他者依存」という深層心理学的な分類に押し込まれる状態ともいえます。たとえばパン屋さんが近くに数件あったとして、同じ種類の商品を売り出すと競争になる。これはわざわざ他のパン屋さんに近づくという依存した手法です。しかし結果的に競争にならない状態もありえます。それはパン屋さんの内容(商品の種類)が重なっていない状態です。
それぞれの個性がはっきりしていて、重なっていなければ、同じカテゴリーでも競争にはならない。「同化傾向」の逆数へ向かえば資本主義経済すら一挙に止揚されることになる。その状態は高次のレベルにあるがゆえに、現在の競争社会がいくら最先端のテクノロジーで動いていたとしても原始的な状態であることは明らかです。原始的な状態は共依存を続ける状態。これが高次の関係(社会)になると、お互いが独立した「協力関係」が生まれます。お互いの弱点を補い助け合って、競争は極限まで回避されていく。
競い張り合うことへの欲求は、自分の発想では立ち行かないがゆえの「真似(擬態)への欲求」とみることができます。競争心の根底にあるのが真似や擬態への欲求であり、その原因を分析するとマザーコンプレックスに行き着きます。争いという勇ましいイメージとは裏腹に、究極の心的依存状態がパラサイト的な心理を発症させる。この傾向は社会が高次へ向かう流れを邪魔していることは明らかです。これからは、他とは重ならず、お互いの固有性を尊重できる(同化を好まない)人々が、無意味な競争から解放された「自由な社会」を作っていくことになるでしょう。
AUTOPOIESIS 222/ illustration and text by : Yasunori Koga
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