絵には意図的に描かれたものと、結果的にそうなってしまったものと、二つがあります。前者は描く前からある程度の結果をさきに決定し、おおむねコントロールの範囲内で作品を作ります。それに対して後者は、最初の青写真があるとしても、描いているうちに計画とは違うプロセスができ、最後は思っても見ない作品ができる。結果だけ見れば、二つは同じ「作品」と呼べるものですが、制作過程で「描き手の中に起こっていること」がまったくちがいます。
これはツアー旅行などで最初から全てが決まっていて、始まる前から予想がつく旅と、現地に行ってからその感触で行く場所を決めていく旅との違いです。ツアーは安心を得ることができる反面、冒険の余地がありません。余白や別の枝分かれを閉じられています。それに対して、現地での判断は、不安定な分、自由と冒険が保障され、意外性の余地がふんだんにあります。
事前の計画によって得られる安心は、冒険や意外性を引き換えにしている。絵の制作の場合だと、計画と引き換えにするのは、進化に必要な突然変異を促す「偶然」です。逆に無計画で得られる自由や冒険と引き換えするのは、安定や安心です。生物の成長や物事の現状維持が「進化し続けること」でなされることを考えると、計画だけに閉じこもるのは危険だともいえます。安心や安全を基盤としつつも、そこに「自由」と「冒険」を組み込むことが「真の意味での安定」である。それは森羅万象がはっきりと示しているとこなのです。
AUTOPOIESIS 258/ illustration and text by : Yasunori Koga
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