『カルパテ城の謎』

古賀ヤスノリ イラスト

 婚約者をさらわれたオペラ歌手テレック伯爵。その傷を癒すべく療養地として訪れた村で、人々から怖れられる「カルパテ城」の奇怪な噂を耳にする。興味を惹かれカルパテ城へ向かうテレック伯爵。その行く先で待ち受けるのは、婚約者をさらった奇人、ゴルツ男爵であった。

コメディー×(オペラ + 博物趣味 + SF)。これがこの映画を表す式である。ジュール・ヴェルヌの小説を下敷きにしているだけあって、地底、海底、宇宙のメタファーが、過去とも未来とも言い難い世界にちりばめられている。
この映画の見所は、主役のとぼけたオペラ歌手と、敵役であるゴルツ男爵の変人ぶりであろう。また美術を担当するのは、チェコのシュールレアリスト、ヤン・シュワンクマイエル。彼がデザインする奇妙な小道具の数々を見るのも楽しみの一つだ。監督のオルドリッチ・リプスキーは、つねに一風変わった世界を見せてくれるチェコ映画界の巨匠。 テリー・ギリアムやジャン・ピエール・ジュネの東欧版といったところか。この映画以外にも「アインシュタイン暗殺指令」や「アデラ、ニック・カーター、プラハの対決」が同じ傾向の傑作である。あの寺山修司やクローネンバーグ も愛したリプスキーの世界を、映画好きとして堪能しない訳にはいかない。

vol. 004 「カルパテ城の謎」 1981年 チェコ99分 監督:オルドリッチ・リプスキー
illustration and text by : Yasunori Koga

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『信頼』

 大工さんが建物を建てる。二階部分は届かないので、周りに足場を組む。その足場で二階部分の作業をします。もし、大工さんが足場を組んだ人の技術を信頼していなかったら、作業をしても落ち着きません。仕事が手につかないということになります。イライラしてストレスがたまってしまう。
 人は自分が信用できる足場でしか、落ち着いて作業ができません。信頼できる地盤でしか通常の能力が発揮できない。信頼とは何か。それは自分を預けても大丈夫だという感情のようなものでしょう。あるいは、存在の基盤を支える実存的な確証。世界に対する信頼がないと、そこで生活する人々は不安定になります。

古賀ヤスノリ イラスト

 では自分の足場となる世界を信じるにはどうすればよいのでしょうか。人は「壊れたつり橋」を渡る時、足で強度を確認しながら進みます。「ここは大丈夫だ」といった感じで。少しずつ信頼できる足場が広がる。広がった足場から新しい風景が見える。信頼とは「表面的なこと」ではなく「本質的なこと」(事実)です。本質に目を向けて、信頼できる足場を広げることで自分の実力が自然に顔を出す。自分の思いがスムーズに表現できる状態がここにあります。

AUTOPOIESIS 0055/ illustration and text by : Yasunori Koga
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『社会的な価値』

 社会的な価値観というものがあります。「人々が共通に考えている」と思われている常識のことです。この常識は時代によって変化します。さらに一時的な社会状況によっても左右されます。社会を水槽に例えるならば、水槽の中の熱帯魚は水槽という社会環境を常識としている。もし水槽が傾いたり揺れたりすると、その変化を社会的な価値として熱帯魚は常に受け入れて生きます。
 もし水槽内が良い状態にあれば、その中の常識も魚たちに良い影響をあたえます。しかし水槽が不自然に振動したり、ろ過されていない水や有害な物質が入ってきたらどうか。もし熱帯魚たちがそれに気づかなければ、いつも通りの常識を受け入れて生活することになる。もちろん熱帯魚たちは悪い影響をじわじわと受けていく。

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 社会的な価値という「見えない環境」は、クリーンであるか汚染されているかが分かりにくい。中にどっぷり浸かっていては分からない。それらを適切に判断するには「外から見る」しかありません。それは、社会的な価値(常識)が「常に正しく無条件に従うべきもの」という考えを一度捨てることでもあります。そうして「見えない環境」の汚染に気づいたときには、人々の手によって、適切な状態へと戻す必要があるのです。

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『風がふくまま』 

 巨匠アッバス・キアロスタミ監督の『風がふくまま』を観る。
 ある特殊な葬儀を取材するため地方の村を訪れた主人公。彼は死の間際にある老婆の葬儀を待つ。仕事のために人の死を望む自分にうしろめたさを感じつつも、仕事を全うしようと努める。しかし予定に反して老婆は死なず、時間切れとなり企画も打ち切りとなる。それまでの使命から解放された主人公は、死を望んでいたはずの老婆のもとへ医者を案内する。

 人は目的に支配されると、他人の死を望むほど墜落する。その究極状態が戦争でしょう。映画の主人公は、ある支配から解放された瞬間から人間らしさを取り戻します。本来従うべきことが見えなくなる状態を、成果主義という病が作り出す。戦争を回避するヒントすら、この映画には隠されているのではないでしょうか。

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『カバ』

 カバは水よりも比重が大きい。だから水中を歩くことが出来る。しかもカバは、肺に空気を貯めて浮かびながら自由に泳ぐこともできる。人間なら浮力が邪魔をしてそうはいかない。カバは水中で自由に生きる反面、陸上では長く歩くことが苦手らしい。
 水よりも重いカバには自由が許されている。水より軽い人間には自由が許されていない。ここでいう水よりも重いとは「質量」が重いということ。物理学でいう「質量」とは「重さの度合い」であり「動かし難さ」の度合いでもある。つまり水中における「動かし難さ」が自由の条件となっている。

『カバ』

 人間の世界も周囲に流されない「動かし難さ」が自由の条件だといえる。「世間の質量」より「個人の質量」が高ければ、動きだけではなく考え方も自由になる。では、世間や個人の「質量」とはいったい何なのか。それさえ発見できれば、私たちはカバのように自由に歩くことが出来るのです。

AUTOPOIESIS 0052/ illustration and text by : Yasunori Koga
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