『風がふくまま』 

 巨匠アッバス・キアロスタミ監督の『風がふくまま』を観る。
 ある特殊な葬儀を取材するため地方の村を訪れた主人公。彼は死の間際にある老婆の葬儀を待つ。仕事のために人の死を望む自分にうしろめたさを感じつつも、仕事を全うしようと努める。しかし予定に反して老婆は死なず、時間切れとなり企画も打ち切りとなる。それまでの使命から解放された主人公は、死を望んでいたはずの老婆のもとへ医者を案内する。

 人は目的に支配されると、他人の死を望むほど墜落する。その究極状態が戦争でしょう。映画の主人公は、ある支配から解放された瞬間から人間らしさを取り戻します。本来従うべきことが見えなくなる状態を、成果主義という病が作り出す。戦争を回避するヒントすら、この映画には隠されているのではないでしょうか。

AUTOPOIESIS 0053/ illustration and text by : Yasunori Koga
古賀ヤスノリのHP→『Green Identity』

『カバ』

 カバは水よりも比重が大きい。だから水中を歩くことが出来る。しかもカバは、肺に空気を貯めて浮かびながら自由に泳ぐこともできる。人間なら浮力が邪魔をしてそうはいかない。カバは水中で自由に生きる反面、陸上では長く歩くことが苦手らしい。
 水よりも重いカバには自由が許されている。水より軽い人間には自由が許されていない。ここでいう水よりも重いとは「質量」が重いということ。物理学でいう「質量」とは「重さの度合い」であり「動かし難さ」の度合いでもある。つまり水中における「動かし難さ」が自由の条件となっている。

『カバ』

 人間の世界も周囲に流されない「動かし難さ」が自由の条件だといえる。「世間の質量」より「個人の質量」が高ければ、動きだけではなく考え方も自由になる。では、世間や個人の「質量」とはいったい何なのか。それさえ発見できれば、私たちはカバのように自由に歩くことが出来るのです。

AUTOPOIESIS 0052/ illustration and text by : Yasunori Koga
古賀ヤスノリのHP→『Green Identity』

『アリクイ』

 アリクイという動物がいます。蟻を主食として生きる動物です。蟻塚の中の蟻を食べるために、口が細長く特化した形状をしています。そうなると他の物はとても食べづらい。完全にターゲットを蟻に絞った専門性。このように生き残りをかけた専門特化は、メリットとデメリットがハッキリと現れます。
 人間もその道を極めると専門家になります。そうして専門特化すればするほど、メリットとデメリットはハッキリします。しかしプロフェッショナルとはそういうものでしょう。逆に言うと、デメリットがハッキリしていない状態は、中途半端だということです。

古賀ヤスノリ イラスト

 メリットとデメリットは表裏一体。もしデメリットを避けることに集中すれば、メリットも得られない。失敗しないために何もしない、ということになります。「専門特化すると環境の変化に適応できない」という意見もあります。しかし、その道の専門家たれば必ず「普遍的な原理」を理解しているはずです。よって他領域への応用も可能でしょう。アリクイは「専門特化の原理」を知るがゆえに、蟻が絶滅してもまた、新しい専門特化を見せるに違いありません。

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『意味のかさなり』

 意味とはなにか。意味を知りたければ辞書で調べる。するといろんな物事についての意味が書いてある。これは誰にでも同じ意味として了解できる、いわば「客観的な意味」です。それに対して「主観的な意味」というものがある。つまり「自分にとっての~」というものです。

古賀ヤスノリ イラスト

 たとえば「学校の校舎が老朽化で取り壊された」というニュースを読む。多少のイメージは湧くも、額面どうりに受け取るだけです。しかしもし、その校舎が自分の母校だと知れば、そのニュースの意味が変わります。一挙に「主観的な意味」が発生する。「自分にとっての校舎」は他人には分からない。
 人々に共通に理解される意味は「客観的な意味」。そこに自分の経験によって感じる「主観的な意味」が重なる。社会は前者の意味で回っている。しかし人間は後者の意味で生きている。このような意味の二重性は、人間に自我があるからこそ生まれた構造です。「客観的な意味」は今や瞬時に引き出せる。つまり「自分のとっての意味」に集中してよい時代なのです。

AUTOPOIESIS 0050/ illustration and text by : Yasunori Koga
古賀ヤスノリのHP→『Green Identity』

『納得の原理』

 現実の世界は「物理的な因果」に従う。リンゴは樹から落ちる。振り子は左右に振れて最後には止まる。人々はそれに従う。しかし人間の心はどうか。愛する人が死んだとして、「心肺停止」で了解というわけにはいかない。つまり人間の心は「物理的な因果」には従わない。

古賀ヤスノリ イラスト

 ならば心はどのような因果に従うのか。人間の心は「意味的な因果」に従う。愛する人が心肺停止だけで納得できないのは、自分とその人の間に意味があるからです。自分にとっての「意味的な了解」がないと納得には行きつかない。
 「意味的な了解」に至るには時間がかかることもある。理屈だけでは解決しない。「物理的な因果」と「意味的な因果」。この二つの世界を混同すると問題が長引く。二つをハッキリと分けて「意味的な因果」を大切にすることで、人々は納得を得ていくはずです。

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古賀ヤスノリのHP→『Green Identity』

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