『老化を防ぐ方法』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 いま認知科学の視点から、現代人は文字や絵をかくのが苦手になっているということが問題視されています。その原因の一に、パソコンやスマホといった仮想空間の情報に接する時間が、現実の情報に接する時間を超えてきたという事実があります。そもそも認知とは現実の情報を把握して意味付けするプロセスのことであり、それはつまり自分自身で物事を情報化するということに他なりません。その認知能力が弱ければ、現実を視覚的に把握し再構成する力や、意味的な把握にも問題が起こります。
 文字や絵のバランスをうまく取ることが出来ないということは、文字や絵の全体をイメージとして把握する力に欠けているということです。各部分を全体に従わせることが出来ない。つまり文字や絵を上手く描けない状態と、いわゆる認知症の状態は似たところがあるということです。各部分の情報を集められても、全体の構成ができなければ意味のレベルを作り出せないということです。特に絵で全体のバランスをとって描けるかそうでないかは、認知機能の有無を示す分かりやすい指標といえます。
 一般論として画家は高齢になってもボケにくいと言われています。これは認知能力を日々鍛えているからと考えれば頷ける話です。このイメージによる認識と、さらに言語的な意味づけ(思考)を鍛えることで、認知能力は高まり、老化を遅らせる可能性がある。画家や絵を描く職業の人のなかでも、評論やエッセイなどの言語活動にも秀でた人が、長生きだったり、年齢より若く見える人が多いのは偶然ではないのかもしれません。この視点での研究はこれから進んでいくだろうと予想されます。

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『ゴダールのことば』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 先頃フランス映画界の巨匠、ジャン=リュック・ゴダール監督がこの世を去りました。世界中の映画ファンが彼の映画を愛していました。わたしもその中の一人で、20代のころに「勝手にしやがれ」を観て以来、ゴダール映画のファンです。ゴダールは映画評論家だったので、彼の書く評論や講義録も映画にまけないくらい私を惹きつけました。カフェでコーヒーを飲みながら彼の哲学を読み耽ったものです。
 そんなゴダールの発言でいまでも頭から離れないものがいつくかあります。その一つに「人々は想像力を委託してしまっている」という発言があります。自分自身の想像力を使い何かを作り出すのではなく、他人に想像力を使ってもらい、作ってもらう状態に甘んじているということです。例えばテレビやネットで価値観や行動規範をもらい、CMを見て刺激を受けて作ってもらったものを買う。想像力を使う余地が格段に減っている。
 全てを委託できるのは楽で便利です。しかし自らの想像力で「自分にしか作り得ないもの」を作るチャンスを無くしてしまう。「自分にしか作り得ないもの」の最たるものが「自分の人生」であることは明らかです。人生を作り上げるために必要な想像力が乏しいと、問題がいろいろと出てきます。また解決も難しくなる。想像力を委託してはならない。このゴダールの言葉は、カフェの雰囲気とともに染みこみ、いまも心に響き続けています。

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『アムステルダムへ』

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 以前、日本からオランダ経由でパリへ行く途中、アムステルダムで足止めされた事があります。濃霧で飛行機が飛べないということでした。次の便が翌日の午後ということで、夜のアムステルダムに放り出されてしまう。一瞬焦りましたが、宿の問題だけクリアすればアムステルダムを観光できるなと、突発的な事件を好意的に受け入れました。結局ホテルを航空会社持ちで探してくれたので、次の日はアムステルダムの街を見てまわり飛行機に乗りました。
 もし予定通りに飛行機が飛んでいたらそれはそれで良かったでしょう。しかし予定外のことが起こったので、私の記憶の中には美しいアムステルダムの街が残っています。街角のデッサンも10枚ほどしました。このように不確定要素は自分を広げ深めてくれる。予定調和の中だけだと安全ではあるが変化や成長に乏しい。言い換えると失敗の経験から新しい芽が生まれ、やがて大きなものへと結実していく。新しいキッカケが化学反応がおこしてくれる。
 アムステルダムの体験は時間にすると僅かなものでした。しかし心理的には色濃く息づいています。しばしば作品のモチーフにも使うほどです。次は時間をしっかり取って行きたい。突発的な事件が起きなければ、たぶん行くことがなかった場所です。自分では選ばなかったであろうものが自分を豊かにする。これは変な話ですが、常に成長のキッカケは自分の外にあるものとの出会いなのかもしれません。

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『実存的な問い』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 実存という言葉は日常ではほとんど使われません。実存とは哲学の言葉で、社会的な役割を超えた、自己の存在のあり方のことです。そのような深いことを話し合う機会などそうそうないので、この言葉は一般化していません。しかし長く生きていると、実存的な問いが自分に沸き起こることになります。自分は何者であり、どのように生きるべきなのかと言った根本的な問いです。
 実存的な問いを避け、考えないように生きることは出来ます。別の仕事などに忙しくしていたり、何かに没頭していれば考えなくて済みます。しかし逃げていても必ず実存的な問いは追いついてきます。定年後に鬱になるパターンなどはそれを示しています。よって早いうちから小分けにして考えておくと抵抗力が徐々についてくる。
 考えること以外にも、絵や音楽といった芸術によって自己を表現する術があると、それが自然に実存レベルの自己との交信につながる。自分のことを放置して、それ以外のことに没頭するだけでは決して解決しない実存的な問い。この世に自分自身が生きていることの証を、自分自身のなかでつかみ取る。その実感が、自分が生きる世界と精神を、真の意味で安定させるのです。

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『満足を加減する』

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 本当に望んでいることがあるとします。夢でも理想でもよい。しかしその手前で本当に望んでいるものとは違うもので満足してしまい、夢や理想を追いかける気力を失うということがよくあります。これは昼食の前にお腹が減って、間食を食べてお腹が一杯になり、本当に食べたものが食べられなくなることと理屈は同じです。つまり低いレベルのもので自分を満足させてしまい、本当に得たいもを得る気力を失うということです。
 昼食前にお腹が減っても我慢するのが一番よい方法です。それなら昼食を美味しくとることができる。もしどうしても我慢できないなら、昼食に影響ないよう少量に加減して食べる。この加減が夢や理想を追うときにも必要になります。すぐに手に入るもので自分を完全に満足させてしまうと、夢や理想を追う気力を失う。むしろ不足や不満足こそが活力へと転化する。よって何でも易々と手に入る環境は、ヤル気を喪失させやすいと言えます。
 安易なもので自分を完全に満たす癖がつくと、満足の容量がどんど小さくなっていく。そしうていつしか夢や希望も思い浮かばなくなる。なので、ある程度納得できるものでなければ自分を満たしてはならない、という定理が重要になってきます。もちろんそれだと簡単には自分は満たされない。であるがゆえに、その不足を埋めようとするエネルギーがヤル気に繋がっていく。つまりヤル気や気力は、すぐに手に入るもので自分を満足させないよう「満足を加減する」ことで生まれてくるのです。

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