ネットを検索すればどんな情報でもすぐに出てくる。いや検索などしなくてもネット上にはどんどん情報が流れてくる。それを良くも悪くもたくさん浴びている。これは良い事なのかという問題があります。一般的な発想としては「情報が多いほど有利である」という見解です。しかしそれには一つ足りない条件があります。それは、情報なら何でもよいのではなく「必要な情報」が多いと有利だということです。もし不必要な情報が大量に入ってくると、「必要な情報」の邪魔をし相殺してしまうからです。それならむしろ「必要な情報」を少なくもっているほうが断然有利です。
たとえばダンスを覚えようとして、あるダンスのステップを訓練する。しかし別のダンスのステップの情報も入ってきて、それも練習する。すると奇数のステップの訓練中に偶数のステップを踏み出すように、せっかく身に付きつつあるステップの邪魔をしてしまう。このように物事が非効率になる原因は、言葉の上での分類が同じだというだけで、実際は性質が逆の情報を取り込み、相殺現象が起こる場合が多い。つまり情報の「質的なレベル」で相性が良くない、という視点を欠いているということです。
ある人が絵を描いていて、順調に上達しているとします。それはある一貫性のもとに枝葉を伸ばし成長している証拠です。そこにあるとき全くうかがいしれない枝が出てきたり、成長が緩慢になるときがあります。そんな時はこれまでとは質の違う「一貫性を阻害する情報」が侵入してきたことを示しています。この健全な成長に対するウイルスのようなものは、自分ではなかなか気づきにくい。なぜなら自分では必要な情報だと思って取り込んだからです。しかしながら、早期に発見し対処しないと、最後にはこれまでの秩序体系がすべて相殺されてしまう。この意味で、情報はただ多ければよいというものではなく「質的なレベル」での相性があり、それらを吟味して自分に取り込む必要があるということです。そして多様な「情報の相性」を瞬時に直感するには、個々人の「主体性」と「美意識」こそが必要なのです。
AUTOPOIESIS 207/ illustration and text by : Yasunori Koga
古賀ヤスノリ サイト→『Green Identity』