『精神の整理術』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 物事は放っておくと必ず無秩序へと向かう。たとえば整理を怠ると部屋は足の踏み場もなくなります。また美しい庭園も手入れを怠るとすぐに荒廃する。こういった散らかり具合の指数を物理学ではエントロピーと呼びます。つまり物事は放っておくと必ずエントロピーが上がっていく。よってエネルギーはエントロピーを低く保つために使用さる。これが生命活動の基本です。
 エントロピーは熱力学第二法則という物理学の概念ですが、精神にもこの法則が当てはまります。ただ生活するだけで精神を放っておくと、足の踏み場もないほどに散らかっていく。そして最後には収集不可能になります。物理的な空間と違い、精神は目に見えないので散らかり具合を事前に察知するのは難しい。よって日々の整理整頓が重要になってきます。
 精神の整理整頓は言語によって「考える」ことでなされます。さらに言語でカバーできない無意識の領域は、芸術などの自己表現によって把握されます。この思考と自己表現によって精神は整理されエントロピーを低く保つことが出来る。これらを怠ると精神は徐々に無秩序へと向かうことになる。言語による思考と、芸術による自己表現によって、心のエントロピーは低く保たれ、未来の精神的破堤(カオス)は回避されるのです。

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『老化を防ぐ方法』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 いま認知科学の視点から、現代人は文字や絵をかくのが苦手になっているということが問題視されています。その原因の一に、パソコンやスマホといった仮想空間の情報に接する時間が、現実の情報に接する時間を超えてきたという事実があります。そもそも認知とは現実の情報を把握して意味付けするプロセスのことであり、それはつまり自分自身で物事を情報化するということに他なりません。その認知能力が弱ければ、現実を視覚的に把握し再構成する力や、意味的な把握にも問題が起こります。
 文字や絵のバランスをうまく取ることが出来ないということは、文字や絵の全体をイメージとして把握する力に欠けているということです。各部分を全体に従わせることが出来ない。つまり文字や絵を上手く描けない状態と、いわゆる認知症の状態は似たところがあるということです。各部分の情報を集められても、全体の構成ができなければ意味のレベルを作り出せないということです。特に絵で全体のバランスをとって描けるかそうでないかは、認知機能の有無を示す分かりやすい指標といえます。
 一般論として画家は高齢になってもボケにくいと言われています。これは認知能力を日々鍛えているからと考えれば頷ける話です。このイメージによる認識と、さらに言語的な意味づけ(思考)を鍛えることで、認知能力は高まり、老化を遅らせる可能性がある。画家や絵を描く職業の人のなかでも、評論やエッセイなどの言語活動にも秀でた人が、長生きだったり、年齢より若く見える人が多いのは偶然ではないのかもしれません。この視点での研究はこれから進んでいくだろうと予想されます。

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『ゴダールのことば』

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 先頃フランス映画界の巨匠、ジャン=リュック・ゴダール監督がこの世を去りました。世界中の映画ファンが彼の映画を愛していました。わたしもその中の一人で、20代のころに「勝手にしやがれ」を観て以来、ゴダール映画のファンです。ゴダールは映画評論家だったので、彼の書く評論や講義録も映画にまけないくらい私を惹きつけました。カフェでコーヒーを飲みながら彼の哲学を読み耽ったものです。
 そんなゴダールの発言でいまでも頭から離れないものがいつくかあります。その一つに「人々は想像力を委託してしまっている」という発言があります。自分自身の想像力を使い何かを作り出すのではなく、他人に想像力を使ってもらい、作ってもらう状態に甘んじているということです。例えばテレビやネットで価値観や行動規範をもらい、CMを見て刺激を受けて作ってもらったものを買う。想像力を使う余地が格段に減っている。
 全てを委託できるのは楽で便利です。しかし自らの想像力で「自分にしか作り得ないもの」を作るチャンスを無くしてしまう。「自分にしか作り得ないもの」の最たるものが「自分の人生」であることは明らかです。人生を作り上げるために必要な想像力が乏しいと、問題がいろいろと出てきます。また解決も難しくなる。想像力を委託してはならない。このゴダールの言葉は、カフェの雰囲気とともに染みこみ、いまも心に響き続けています。

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『アムステルダムへ』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 以前、日本からオランダ経由でパリへ行く途中、アムステルダムで足止めされた事があります。濃霧で飛行機が飛べないということでした。次の便が翌日の午後ということで、夜のアムステルダムに放り出されてしまう。一瞬焦りましたが、宿の問題だけクリアすればアムステルダムを観光できるなと、突発的な事件を好意的に受け入れました。結局ホテルを航空会社持ちで探してくれたので、次の日はアムステルダムの街を見てまわり飛行機に乗りました。
 もし予定通りに飛行機が飛んでいたらそれはそれで良かったでしょう。しかし予定外のことが起こったので、私の記憶の中には美しいアムステルダムの街が残っています。街角のデッサンも10枚ほどしました。このように不確定要素は自分を広げ深めてくれる。予定調和の中だけだと安全ではあるが変化や成長に乏しい。言い換えると失敗の経験から新しい芽が生まれ、やがて大きなものへと結実していく。新しいキッカケが化学反応がおこしてくれる。
 アムステルダムの体験は時間にすると僅かなものでした。しかし心理的には色濃く息づいています。しばしば作品のモチーフにも使うほどです。次は時間をしっかり取って行きたい。突発的な事件が起きなければ、たぶん行くことがなかった場所です。自分では選ばなかったであろうものが自分を豊かにする。これは変な話ですが、常に成長のキッカケは自分の外にあるものとの出会いなのかもしれません。

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『実存的な問い』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 実存という言葉は日常ではほとんど使われません。実存とは哲学の言葉で、社会的な役割を超えた、自己の存在のあり方のことです。そのような深いことを話し合う機会などそうそうないので、この言葉は一般化していません。しかし長く生きていると、実存的な問いが自分に沸き起こることになります。自分は何者であり、どのように生きるべきなのかと言った根本的な問いです。
 実存的な問いを避け、考えないように生きることは出来ます。別の仕事などに忙しくしていたり、何かに没頭していれば考えなくて済みます。しかし逃げていても必ず実存的な問いは追いついてきます。定年後に鬱になるパターンなどはそれを示しています。よって早いうちから小分けにして考えておくと抵抗力が徐々についてくる。
 考えること以外にも、絵や音楽といった芸術によって自己を表現する術があると、それが自然に実存レベルの自己との交信につながる。自分のことを放置して、それ以外のことに没頭するだけでは決して解決しない実存的な問い。この世に自分自身が生きていることの証を、自分自身のなかでつかみ取る。その実感が、自分が生きる世界と精神を、真の意味で安定させるのです。

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