『時空のサイン』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 自分の好きなアーティストからサインを貰えたとします。本人が直筆で描いたサインを貰えてうれしくなる。このサインはアーティストの表現であり、その人のものであるから嬉しくなる。もしこれがシャチハタ印鑑であったり、パソコンで作った印刷物であったり、本人の筆跡ではなく誰かのサインの模倣であったりすると、嬉しさは半減するでしょう。同じサインでも、なぜ本人の直筆ではないとだめなのでしょうか。
 本人がその場で書いた直筆のサインは、まぎれもなくその人の表現であり、その時、その場所にその人がいて、自分もそこにいたことを示すものです。前もって作られたものでもないし、誰かが代筆できるものでもない。世界でただ一人、その人だけが書けるサインです。だからこそ、そのアーティストを表すものとしての価値があります。存在を確かなものにする固有のサインは、その時、その場所に存在していた証しであり、それがほかの誰ともちがう「その人」であることを示している。
 規格化されたものや、人工的なもの、あるいは模倣的なものは、他の誰とも違う固有の自分を示しにくい。その大きな原因は、その時、その場所に、その人が存在したことを立証する証拠としては弱いということです。つねに他人の介入の可能性が残っている。だからこそ好きなアーティストから直筆と印刷物のどちらかを選べと言われたら、迷わず直筆を取る。そのサインは場所と時間の存在証明であり、まぎれもない「その人の表現」だからです。それは現在も拡大を続ける宇宙において、二度とないタイミングでそこに存在していたという記念碑的な表現なのです。

AUTOPOIESIS 142/ illustration and text by : Yasunori Koga
古賀ヤスノリ サイト→『Green Identity』

『新しい自我』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 フロイトをはじめ精神分析や心理学の本を開けば「自我」という言葉が頻繁にでてきます。この「自我」という言葉はいまでは一般化していますが、自分自身で「これが自分だ」と思っているものを指しています。この「自我」は最初は親との関係で作られる。つまり、もともとあるものではなく、他人との関係によって作られるということです。
 他人との関係で作られた「自我」は、物事を選択し行動するときの判断の中心です。よって「自我」のあり方が、その人の行動規範であり、行動の限界値でもあります。しかし、人はその自我を越えて成長しようとする時があります。真に大人になるときや、より高い目標を目指す時などです。
 これまでの「自我」を越えて成長しようとすると、それまでの仲間や家族から疎外されることがよくあります。他人との関係で出来た「自我」を越えていくわけですから、これは自然な流れとも言えます。そこで周囲の疎外におじけづけば、成長も進化も、また夢や目標も放棄してしまい、無気力の原因にもなります。このような反発や疎外に対してひるまずに、勇気と覚悟を持つことができれば、揺るぎない自我と新しい発展への道が開けるのです。

AUTOPOIESIS 141/ illustration and text by : Yasunori Koga
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『メリットとデメリット』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 物事には必ずメリットとデメリットがあります。どれを選んでも二つがワンセット。もしデメリットを避けるとメリットも消えてしまいます。よって自分に合ったワンセットを選ぶ必要がある。しかし自分の中で価値観が二つに割れていたらどうでしょうか。たとえば「自由」と「安定」の二つを“同時に”求めている状態。この二つはお互いに逆側のデメリットを補う関係にあり、片方を選ぶことがもう片方のメリットを捨てることに繋がります。こうなると、どちらも選べなくなり物事が進まなくなります。
 デメリットを避けるような発想だと、必ず逆側の価値観が頭をもたげ邪魔をしてきます。そうして同じところを行ったり来たりで進まない。このような状態が限界に来たときにとられる安易な解決法が、どちらかを“無理に”バッサリ切り捨てるというものです。これは一見きっぱりとした決断に見えます。しかし、それは葛藤からの逃避であり、残った方のデメリットを受け入れていないので、また逆側の価値観が現れます。
 ここにあるのは、デメリットを極端に避けることによって発生する「負の二分法」です。受け入れきれないデメリットをカバーするために、反対の価値観を求めて方向が二分してしまう。しかし本来デメリットは、ワンセットであるメリットによってカバーされなければなりません。たとえば水と油は攪拌すると乳化作用で一つに統合され「新しい性質」をもちます。デメリットの否定ではなく、メリットとデメリットを統合することで、デメリットは新しい「質」へと変化する。そこに安定した形があるのです。

AUTOPOIESIS 140/ illustration and text by : Yasunori Koga
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『植物の育て方』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 植物を育てたいけれども、育て方が分からない。そんな時はネットで検索すればすぐに情報が手に入ります。どういった時期に何をすれば良いか、水やりの頻度は、直射日光に当てて良いかなど。しかしその情報どおりにやっても上手くいかない事があります。もちろんアクセスした情報が、根本的に間違っている場合は論外です。しかし情報に誤りがない場合に、それでも上手くいかない時は、個体差と環境差の問題があります。
 植物は同じ品種でもそれぞれに個体差があります。とくに刺し技などのコピーではなく、種から育てられたものはそれぞれ微妙に個性が違う。よってセオリー通りにいかない「例外的な個体」がそこそこあるということです。その場合は世界に一つしかない個性を、徐々に把握しながら育てる必要があります。もう一つは環境差です。情報元の環境と100%同じということは原理的にありません。そこで情報元の環境との差を予測して対応する必要があります。
 これは植物に限りません。個性があり育った環境が違うなら、一般化したセオリーを強引に採用することで枯れてしまう事があります。そうならないためには、どのような個性のものを、いかなる環境で育て開花させるのかを把握する必要ある。一般化したセオリーは一つの基準にしか過ぎません。そのようなセオリーと現実の個性に対する「適切な対応」は別次元のものです。セオリーを現実によって上手く修正したところに、成長と豊かな実りの可能性があるのです。

AUTOPOIESIS 139/ illustration and text by : Yasunori Koga
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『タルコフスキーの花』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり
 以前、映画監督の中で最も尊敬するアンドレイ・タルコフスキーの墓を訪ねたことがありました。タルコフスキーの墓は、パリ郊外のロシア人墓地にあります。彼は検閲の絶えないロシアを離れ、イタリアやスウェーデンで映画を撮り、パリで客死したのでした。そこでパリを徘徊していたある日、花屋で花束を買い、電車で出かけることにしました。
 最寄り駅で下車して、そこからはバスで移動。墓地に着いたは良いのですが、広大な敷地に半端ではない数の墓が並んでいました。当時はスマホもまだなく、タルコフスキーの墓の写真だけが頼り。似たような墓がありすぎて苦労していた所、墓参りの人がいたので聞いてみました。すると「彼の墓がここにあるのか!」と目を見開いて驚いていました。その後2時間ほど探してやっと墓を発見しました。
 墓には枯れ始めた花が瓶に刺してありました。それは数日前に誰かがここへ来たことを示すものでした。そして一匹の猫が墓を守るように座っていました。枯れかけた花を抜き取り、新しい花と交換する。この花が枯れる頃には、またタルコフスキーを愛する人たちが来て、新しい花へ取り替えてくれる。彼の芸術に感動した人たちが、今は亡きタルコフスキーに「ありがとう」と言いたいのです。彼が眠る場所では、いまなお芸術と心の対話が息づいているのでした。

AUTOPOIESIS 138/ illustration and text by : Yasunori Koga
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