変化とはなにか。それは以前の状態から別の状態へ移行すること。言い換えれば、前と今との間に「区切り」があること。さらには前には戻れないこと。つまり「戻れる領域内」は「無変化な領域」と言い換えてもいい。変化とはそういった「戻れる領域」から「戻れない領域」へと引っ越すことです。
たとえば魚が進化して陸へと上がり哺乳類になる。哺乳類は魚へ戻れない。しかし前の状態を棄てることによって、そのデメリットをはるかに超えるメリットを得ることができる。変化できない魚は、いつまでも海のなかで過ごすことになります。
魚にとってのデメリットは、水中で呼吸するために発達させた「エラ呼吸」の機能を失うことです。それは今まで自分の命を守ってくれた「絶対不可欠なもの」を棄てること。いわば自死を意味します。そこに変化することの「究極の怖さ」がある。それを超えたものだけが陸へと進化します。進化のメリットは、現在の魚と人間との違いにまで広がります。
変化とはこれまでの状態を棄てること。その瞬間から「新しい形式」を採用すること。この変化は徐々にではなく、一瞬で変わります。同じ形式が長くつづき、ある瞬間からパッと変化する。捨てる時は一瞬で、徐々に捨てていくのではない。その意味で「待っていても何も起こらない」ということです。
ヘルマン・ヘッセの『デミアン』という小説には、自分を長らく守っていた卵の殻を、自ら破って鳥が顔を出すというイメージが語られます。これは「死と再生」の象徴です。これまでの自分を自ら殺すことで、新しく生まれ変わる。このような「死と再生」のイメージは世界中の神話のモチーフでもあり、あらゆる進化、発展にとって普遍的なプロセスだと考えられます。
このことから、過剰に現状維持に固執すれば、進化や発展を阻害することになります。実は現状維持を目的としたシステムは、必ず破堤するという逆説がある。新陳代謝できない人体はすぐに死に至る。考え方も硬直化し、すべてを拒めばすぐに精神的な病となります。現状維持への固執は、新しいものを取り入れて、古いものを棄てる、という変化のプロセスを阻害してしまうからです。
人が現状維持に固執する時、そこにはいきいきとした変化への「諦め」があります。その「諦め」は失望の連続によってもたらされた「絶望感」です。それを哲学者のキルケゴールは「死に至る病」と呼びました。その「諦め」の原因は、自分を守ってきた「卵の殻への過剰依存」にあります。自分を助けてきたものが、ある時点から、自分の成長を妨げ苦しめるものになる。しかしそこから出られない。殻を自ら破り捨てる勇気が、絶望の世界に光を当て、「無限の進化」への可能性をもたらすのです。
AUTOPOIESIS 0064/ illustration and text by : Yasunori Koga
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