「自分自身になる」ということは「別のものになろうとしない」ということでしょう。あるいは演じようとしない、成りすまそうとしないということです。『セルピコ』という映画で、主人公のセルピコ(アル・パチーノ)が、パーティーの人々が肩書を言い合う姿をみて「みんな別人になりたがっている」とつぶやくシーンがあります。彼はその光景に飽きあきしているわけです。まあ商売上、肩書が必要なことはありますが(私も肩書やペンネームを使っています)、そのシーンは「自己逃避の振る舞い」に嫌悪するセルピコの個性を表していました。もし別人になり切ることで安心するとすれば、それは自己逃避による一時的な不安の解消と考えられます。もし人々が世間の要望に従い、別人格を振る舞うとするならば、その裏にあるのは不安の解消です。もちろんそのような環境が「自分自身になる」ことを許すはずもありません。この‟出る杭は打たれる”という暗黙のルールは、セルピコから嫌悪されるでしょう。しかし『セルピコ』という映画がアメリカで作られていることを考えると、世界はどこであれ大差ないのかもしれません。
AUTOPOIESIS 0012./ illustration and text by : Yasunori Koga
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