ひび生活していると、有限であるがゆえに起こる問題がいろいろとあります。一つは空間が有限であることから起こる問題。例えば部屋の広さによって置けるものが限られる。工場ならそこから収穫逓減の問題へと発展します。逆に空間を制限することで質が保たれることも多い。つまり空間の制限によって生活の仕方や結果が変わってくるということです。
もう一つは時間が有限であることから起こる問題です。日常生活は、時間に間に合わない、あるいは時間が足りないといった制限が常につきまといます。しかし時間が有限であるおかげで、人間は自分自身を制御し目的を達成することができます。もし無限に時間があれば、あらゆることが後まわし可能となり、あらゆるものが手に入り、そして生きている意味もなくなります。
有限性の問題は人間自体が有限な存在であることが最大の問題です。平均して80年ほどしか生きられない。個人としては時間も空間もその限りのものであり無限ではありません。この有限性の事実を理解して受け入れていないと、あらぬ永遠で無限なものに憧れたり、すがったりするようになる。そうしてあたかも自分の生が永遠にあると錯覚したような振る舞いをしてしまう。
人間が有限であるからこそ起こる無限への欲求。しかし無限の時間が生きる意味を失わせるように、有限である人間が無限を過剰に求めることは、結局のところ肉体的な停止、つまり死への欲求を意味しています。それによって有限性の問題は全て解決するからです。よって有限性を拒絶することは死へと繋がります。われわれに出来ることは、有限性を受け入れそれを上手く利用して、豊かな結果を作り出していくことだけです。
宇宙はビックバンより始まり今現在も広がっています。そのプロセスとして地球もうまれ生物や人間も存在している。宇宙の無限の広がりを「宇宙の創造」と考えれば、われわれ人間はその無限の一部です。個々に寿命はあれど地球には人間という生命が広がっている。もちろん地球にも寿命がある。しかし宇宙の創造は続き、また地球や人間と同じ存在が生まれてくる。
このような無限による繰り返しを哲学者のニーチェは永劫回帰と呼びました。この考えは永遠や無限(絶対的なもの)にすがることで結果的に死を求めるという、不健全な絶対欲求とは違います。むしろ失敗してもまた機会がやってくる。失うものなどない、といった有限性を補完する考え方としてとても有効です。私たちとその世界は有限であるがゆえに豊かである。その有限性の世界を「無限に表現していく」ことが、人間が「人間らしく生きる」ということなのです。
AUTOPOIESIS 116/ illustration and text by : koga yasunori
koga yasunori のHP→『Green Identity』