『線でえがく』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 日本の国宝にウサギやカエルが擬人化された絵巻物『鳥獣戯画』があります。その作者は謎ですが、鳥羽僧正(覚猷)ではないかとう意見が一般的です。たいへん偉いお坊さんで絵も上手かった。言い伝えによると、鳥羽僧正が死に際に、寺の後継者を誰にするかと聞かれて、腕相撲で決めたらいいなどと言ったといいます。位の高いひとにしてはかなりユーモアがあったようです。そんなユーモアのセンスと絵の技術の持ち主ということで『鳥獣戯画』の作者と目されていた。
 他にも弟子の絵を今でいうリアリズムの視点で批判したら逆に、見たままではなく伝えたいものを誇張しないと本質は伝わらないと言いかえされて、ぐうの音もでなかったという話があります。これはその時代にすでに見たまま写実するよりも、ある種の変形を許容するほうが本質が伝わりやすいと考えていた、ということを示しています。リアリズムを基本とするヨーロッパの画家たちも、そういった日本美術を驚きとともに受け入れ、印象派以降の画家たちが影響を受けている。このことを考えると、内容を象徴的に表現することの重要性は人間にとって普遍的な価値があるのかもしれません。
 日本人はひらがなを発明したように、古来より線描を好んで発展させてきました。『鳥獣戯画』のように形をアウトラインで描いて表現するスタイルです。このスタイルは現在、漫画に受け継がれていることを考えると、日本人が世界的にみても漫画が得意であることは必然的なのかもしれません。しかし西洋美術に見られる影による立体描写と線描は相反する表現てあり、とくに西洋型のデッサンでは輪郭線はタブーです。つまり科学的な認識における客観的な造形に輪郭線はないということです。ですがそれも一つの認識にすぎず、線による認識もまた対象の認識であることには変わりありません。
 日本人は西洋型の影による認識表現よりも、線による認識表現が適している民族です。そのように美術も発展してきたし、いまでも海外から最も評価されているのは漫画やアニメなど線描を基礎とする表現です。しかし戦後日本は西洋型の美術教育を取り入れて、線描はカルチャーからサブカルチャーへ追いやられてしまいました。しかし本来の日本人の能力を引き出すには線描を再評価し、西洋美術へのコンプレックスを克服しなけらばならない。
 鳥羽僧正は弟子からの指摘に反論できなかった。いや弟子が正しかったので反論しなかったのでしょう。このように表面的なことだけでなく、より深い本質が理解できる偉い人が昔の日本にはいたという事実は無視できません。もし今もそのような人たちがいたら、ただの欧米追随型の文化形態にはなっていなかったはずです。もちろん敗戦の影響でそうならざるをえなかったわけですが。
 敗戦の影響が日本人の絵による世界の認識方法にまでおよんでいる。おおげさなようで、やはり無いとは考えにくいようです。日本人の無意識の倫理観をまとめた新渡戸稲造の『武士道』ですら、戦後民主化の一環として規制の対象になったのですから。しかしそろそろ我々も、本来もってる日本人が最も得意とする線描を見直していいのではないか。もともと日本人が得意とする表現方法が、サブカルチャーである漫画やアニメとして世界で評価されるのは必然ではないか。線を長らく愛してきた民族であるがゆえに、線を再び取り戻すことは自分自身を取り戻すことなのかもしれません。

AUTOPOIESIS 120/ illustration and text by : Yasunori Koga
こがやすのり サイト→『Green Identity』

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