『時空のサイン』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 自分の好きなアーティストからサインを貰えたとします。本人が直筆で描いたサインを貰えてうれしくなる。このサインはアーティストの表現であり、その人のものであるから嬉しくなる。もしこれがシャチハタ印鑑であったり、パソコンで作った印刷物であったり、本人の筆跡ではなく誰かのサインの模倣であったりすると、嬉しさは半減するでしょう。同じサインでも、なぜ本人の直筆ではないとだめなのでしょうか。
 本人がその場で書いた直筆のサインは、まぎれもなくその人の表現であり、その時、その場所にその人がいて、自分もそこにいたことを示すものです。前もって作られたものでもないし、誰かが代筆できるものでもない。世界でただ一人、その人だけが書けるサインです。だからこそ、そのアーティストを表すものとしての価値があります。存在を確かなものにする固有のサインは、その時、その場所に存在していた証しであり、それがほかの誰ともちがう「その人」であることを示している。
 規格化されたものや、人工的なもの、あるいは模倣的なものは、他の誰とも違う固有の自分を示しにくい。その大きな原因は、その時、その場所に、その人が存在したことを立証する証拠としては弱いということです。つねに他人の介入の可能性が残っている。だからこそ好きなアーティストから直筆と印刷物のどちらかを選べと言われたら、迷わず直筆を取る。そのサインは場所と時間の存在証明であり、まぎれもない「その人の表現」だからです。それは現在も拡大を続ける宇宙において、二度とないタイミングでそこに存在していたという記念碑的な表現なのです。

AUTOPOIESIS 142/ illustration and text by : Yasunori Koga
古賀ヤスノリ サイト→『Green Identity』

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