『主観と客観』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 カフェでコーヒーを飲んでいるとき、不注意でカップを落としたとします。アッと思った瞬間にカップはフロアに落下して割れる。アッと思うのはカップが落ちてどうなるかが予測されるからです。つまり物質は万有引力という力に従って落下する。そういった客観的な法則がある。客観とは自分だけではく、他人も同じくその法則を共有できるということです。それに対する主観とは自分の中だけの世界。例えば「私はカップを宙に浮かせることができる」と誰かが真剣に言うとき、それは主観だけの世界に陥ったことを意味します。
 もしコーヒーカップが自分のモノであれば、割れると悲しい。これは主観です。誰のモノか分からないカップが落下しても悲しくはならない。ただ客観的にカップが落下したと理解される。このように客観的に物事を理解するときには、主観は邪魔になることがあります。しかし主観を大事にしなければ、究極的には自分を大事にできないし、他人も大事にできない。よって物事を客観的に理解することと、主観を大事にすることの両方が大切になってきます。
 客観的な認識は、他人にも理解可能な世界を作ります。よってより多くの人々と客観的世界を理解し合うことが可能となる。それに対する主観は自分の内側だけの見解。この内側の世界をみんな持っている。そしてこの主観的な個人の世界を、客観的な世界において表現することで、伝え合うことが出来る。自分がどう感じどう思っているのか。また他人がどう感じどう思っているのか。主観だけあるいは客観だけではなく、両方を大事にすることで、私たちは真の意味でお互いを理解し合うことが出来るのです。

AUTOPOIESIS 168/ illustration and text by : Yasunori Koga
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