競争。つまり競い合い、優劣や勝ち負けを決定するということ。それには必ず判定基準が必要で、スポーツやゲームにはルールと勝ち負けの判定基準があります。その基準がないと勝ち負けや優劣は存在しない。つまり同じ基準を採用しない限り比較というものが成立しないということです。
例えば資本主義経済は市場原理が働いていて、そこには競争がある。他社の商品を真似てより良いものを出す、といったやり方を良く見かけます。つまり故意に同じ基準に近づいて争っている。本来は独自の商品を作ることができれば、お互いに競い合う必要はないはずです。しかし競うことが深層の目的であるかのように見えるほど、同じ基準と比較の世界が展開されています。
現代は多様性の時代です。個性がしっかりとそれぞれにあれば、重なるこはありません。それがこれからの理想。資本主義の終焉とともに「同じ基準で競う」のは過去の遺物となるかもしれません。ちなみに競い優劣を欲するのは一般に“男性的な性質”(男性に限らず)だといわれます。それは狩人の名残だという文化人類学の見方もあれば、“マザーコンプレックス”が原因だという深層心理学の見方もあります。とにかく「争いを好む傾向」は、多様性の時代と共に、ゆるやかに抑制されていくことになるでしょう。
AUTOPOIESIS 183/ illustration and text by : Yasunori Koga
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