『メリットとデメリット』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 物事には必ずメリットとデメリットがあります。どれを選んでも二つがワンセット。もしデメリットを避けるとメリットも消えてしまいます。よって自分に合ったワンセットを選ぶ必要がある。しかし自分の中で価値観が二つに割れていたらどうでしょうか。たとえば「自由」と「安定」の二つを“同時に”求めている状態。この二つはお互いに逆側のデメリットを補う関係にあり、片方を選ぶことがもう片方のメリットを捨てることに繋がります。こうなると、どちらも選べなくなり物事が進まなくなります。
 デメリットを避けるような発想だと、必ず逆側の価値観が頭をもたげ邪魔をしてきます。そうして同じところを行ったり来たりで進まない。このような状態が限界に来たときにとられる安易な解決法が、どちらかを“無理に”バッサリ切り捨てるというものです。これは一見きっぱりとした決断に見えます。しかし、それは葛藤からの逃避であり、残った方のデメリットを受け入れていないので、また逆側の価値観が現れます。
 ここにあるのは、デメリットを極端に避けることによって発生する「負の二分法」です。受け入れきれないデメリットをカバーするために、反対の価値観を求めて方向が二分してしまう。しかし本来デメリットは、ワンセットであるメリットによってカバーされなければなりません。たとえば水と油は攪拌すると乳化作用で一つに統合され「新しい性質」をもちます。デメリットの否定ではなく、メリットとデメリットを統合することで、デメリットは新しい「質」へと変化する。そこに安定した形があるのです。

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『植物の育て方』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 植物を育てたいけれども、育て方が分からない。そんな時はネットで検索すればすぐに情報が手に入ります。どういった時期に何をすれば良いか、水やりの頻度は、直射日光に当てて良いかなど。しかしその情報どおりにやっても上手くいかない事があります。もちろんアクセスした情報が、根本的に間違っている場合は論外です。しかし情報に誤りがない場合に、それでも上手くいかない時は、個体差と環境差の問題があります。
 植物は同じ品種でもそれぞれに個体差があります。とくに刺し技などのコピーではなく、種から育てられたものはそれぞれ微妙に個性が違う。よってセオリー通りにいかない「例外的な個体」がそこそこあるということです。その場合は世界に一つしかない個性を、徐々に把握しながら育てる必要があります。もう一つは環境差です。情報元の環境と100%同じということは原理的にありません。そこで情報元の環境との差を予測して対応する必要があります。
 これは植物に限りません。個性があり育った環境が違うなら、一般化したセオリーを強引に採用することで枯れてしまう事があります。そうならないためには、どのような個性のものを、いかなる環境で育て開花させるのかを把握する必要ある。一般化したセオリーは一つの基準にしか過ぎません。そのようなセオリーと現実の個性に対する「適切な対応」は別次元のものです。セオリーを現実によって上手く修正したところに、成長と豊かな実りの可能性があるのです。

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『タルコフスキーの花』

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 以前、映画監督の中で最も尊敬するアンドレイ・タルコフスキーの墓を訪ねたことがありました。タルコフスキーの墓は、パリ郊外のロシア人墓地にあります。彼は検閲の絶えないロシアを離れ、イタリアやスウェーデンで映画を撮り、パリで客死したのでした。そこでパリを徘徊していたある日、花屋で花束を買い、電車で出かけることにしました。
 最寄り駅で下車して、そこからはバスで移動。墓地に着いたは良いのですが、広大な敷地に半端ではない数の墓が並んでいました。当時はスマホもまだなく、タルコフスキーの墓の写真だけが頼り。似たような墓がありすぎて苦労していた所、墓参りの人がいたので聞いてみました。すると「彼の墓がここにあるのか!」と目を見開いて驚いていました。その後2時間ほど探してやっと墓を発見しました。
 墓には枯れ始めた花が瓶に刺してありました。それは数日前に誰かがここへ来たことを示すものでした。そして一匹の猫が墓を守るように座っていました。枯れかけた花を抜き取り、新しい花と交換する。この花が枯れる頃には、またタルコフスキーを愛する人たちが来て、新しい花へ取り替えてくれる。彼の芸術に感動した人たちが、今は亡きタルコフスキーに「ありがとう」と言いたいのです。彼が眠る場所では、いまなお芸術と心の対話が息づいているのでした。

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『失敗を選ぶ?』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり
 自信がないと失敗を選ぶという法則があります。失敗を自ら選ぶなんて自虐的で信じがたいと思う人もいるかもしれません。しかし実際には多いのです。なぜ自信がないと失敗を選ぶのか。それは挑戦すると失敗する可能性がある。自信がないと失敗を恐れる。ならば先に自分で失敗を選べば傷つかない。転んで倒れる前に自ら倒れるとうことです。そうして事あるごとに失敗する方を選んでいく。
 もし自分に自信があれば、失敗の可能性が高くても、少ない成功に賭けることが出来る。しかし自信がないとその選択肢がない。さらに失敗を自ら選ぶ手法を正当化するために、また次も同じ方法をとってしまう。この繰り返しを心理学的に言うならば「強迫的反復」と呼べるでしょう。自己正当化のために失敗を強迫的に反復してしまう。これをやめなければ成功できない。
 もし誰かが成功する選択をアドバイスしても、自信がなく強迫的反復にはまった人はアドバイスを無視することになります。いまや失敗が安心に繋がり、成功が怖いという状態になっているからです。そして失敗が、「正しいアドバイスを無視した結果」であることを受け入れる力がないので、正しくアドバイスする人を排除します。そして誤ったアドバイスをする人の意見だけを聞く。これはある意味で最悪の構造ですが、自信を喪失した人に見られる構造です。まずはそのような構造があることを知る必要があります。知ることで初めて抜け出すことも可能となるのです。

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『本音を表現する』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり
 人生にはいろんなことがありますが、最終的には自分自身の「納得」をどうつくるかの一点にかかってきます。いくら成功しても、それが自分がやりたい事ではなく、例えば親や社会からやらされたことであれば本音としては納得できないでしょう。しかし現代人は自分以外のことに従い、それをやりたい事だと思い込み、終着点にきて違うことに失望するというパターンがあります。自分が好きなことが分からない、という状態です。
 本当の意味で自分を理解していないと「自分が好きなもの」が見えてこない。自分のことをこれが自分だと思っていても、無意識の自分までは分からない。多くの場合、その無意識に自分の大事な要素があり、それを無視していることで問題が発生してきます。その意味では意識できない無意識の中に本当の自分や、やりたい事が隠れている。
 例えば絵を描いていて、たまたま好きな絵ができるときがあります。意識的な計画をゆるめて、何となく感覚で描くほうが、無意識を含めた自分の全体が出やすい。そこに知らなかった自分と「自分が好きなもの」があります。そしてそれは「納得」を作り出す大事な要素です。このように、体裁ではなく本当の意味で「自分が好きなもの」を描けるようになる能力は、結局は自分自身を理解し、自分の人生で納得を作る能力と重なります。納得は体裁ではなく「本音を表現する能力」によって作られるのです。

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