『個性と運命』⑤

 過去への執着を捨て、未来への好奇心が発動する内的環境をつくりだす。そうすることで狭い自己から脱出し、外から本当の自分の姿(個性)を眺めることが出来るようになる。ニーチェがいう「自分の運命を愛しなさい」という言葉に従うとすれば、このようなプロセス(自分の個性を知りそれを受け入れる)という内的な流れが、自然な川のように過去から未来へと絶えず流れ続けている必要があります。
 この過去へのこだわりから解放され「真の自己」を受け入れ自由になるというプロセスは、フロイトが精神分析とともに作り出した「心の病を回復させるプロセス」と良く似ています。偉大な哲学者であるニーチェはこのプロセスを、直感的に一言でいい表したのかもしれません。過去への固執は、心的な傷が原因であり、未来への一歩に躊躇するのもまた同じ理由だと考えられるのです。
 自分のことは自分が一番分かっている。だれもが暗黙にそう考えています。しかしもしそうであるならば、どうすれば自分にとって一番良いのかも熟知しており、それぞれが幸福な状態にあるはずです。しかし現実はそうではありません。自分のことは自分が一番分かっていない可能性がある。だからこそ自分を知るための行為が必要です。そしてその行為として生まれたものが「芸術」です。川の流れのように制作を続けることで、過去から未来へと内的環境を滞りなく循環させる。自己表現により「新しい自分」を知り続けることが「個性と運命」を受け入れる大きな手助けとなるのです。

「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」  鴨長明『方丈記』

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こがやすのり サイト→『Green Identity』

『個性と運命』④

 自分自身の外へ出るためには未来に対する好奇心が必要である。過去にこだわりすぎると、未来へ好奇心を抱く機会が失われてしまう。これはつまり自分の中に入り込むことと、過去に固執することは関係があるということです。さらに言えば自分に閉じこもるということは「過去の自分」に閉じこもるということでもあります。
 自分から脱出し外から自分の個性を眺めるには、過去ではなく「未来の自分」に開かれている必要があります。はじめて地球の外へ出ようとした人たちは、宇宙への恐れよりも好奇心のほうが勝っていた。極端に言えば「どうなってもいいから外へ出てみたい」と思った。これは過去に固執して過度に防衛することとは真逆の心理です。外部への第一歩はつねに損得を超越した「好奇心」としか呼べないものが大きな原動力となります。
 未来を考える時、そこに過去はありません。同時には考えられない。未来への好奇心へ向かうときは過去を捨てている。燃料を燃やして進むように、過去を切り捨てて(あるいは受け入れて)未来へと進む。つまり自分自身の外へ外へと進むことと、過去に分かれを告げて未来へ踏み出すことは重なっているということです。自分という殻から脱出するためには「過去への固執」を振り切り、「未来への好奇心」が発動する内的環境を整える必要があるのです。

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『個性と運命』③

 自分を外から見ることで、自分の個性が初めてわかる。よって自分を外から見ている他人の意見は貴重である。この視点を持てば、自分自身の外へ自分が出ていくことが大事だということが分かります。自分自身から脱出することで、やっと自分を外から眺めることが出来るようになる。このイメージを持つと、自分の内側での自分本位が、それほど自由ではなかったことが分かります。むしろ自分という枠の中の不自由な存在であったと。
 深層心理学において「自我」と呼ばれるものは、自分自身が「これが自分だ」と意識できる領域を指す言葉です。しかし人間には無意識の領域もあり、そこを意識化して自我を広げていかないと自分は見えてこない。もし自我の領域が狭いままだと不安定になり、つねに防衛しなければならなくなります。もちろんその中に入っていると、外からは自分が見えなくなってしまう。閉じてしまうと外部というものが完全になくなるからです。
 自我という自分から脱出し、外から本当の自分の全体を眺める。これは地面の上を歩いていた状態を終わらせ、地球を宇宙から眺めた状態と似ています。地球からロケットで宇宙へ出てみた時に、初めて本当の地球の姿が分かった。これは外敵を恐れ内部に閉じこもって防衛していては知りえなかったことです。よって外部へ出るためには「保守心を好奇心へ変える」必要があります。つまり自分自身から脱出するためには「未来に対する好奇心」が必要なのです。

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『個性と運命』②

 他人のほうが自分の個性を理解している。この視点は「自分のことは自分が一番分かっている」という考え方からすれば受け入れ難いものです。一番近くにいる人が一番良く見えているという理屈です。しかし、たとえばビルの入り口に立つとビル全体のデザインは見えなくなる。ましてやビルの内部に入り込めばなおさら何も見えなくなります。
 距離が近いと全体的な理解が難しくなる。これは物質に限らず組織や会社のようなシステムも同じで、中に入り込み同化すれば何も見えなくなる。全体とは「外部から見る」ことでしかつかめないものです。つまり全体を把握するには、対象との「適切な距離」が不可欠になります。この距離なくして全体の理解はありえません。
 自分の個性や人格も同じく、自分に対する「適切な距離」によってはじめて把握が可能となります。「外部から見る」ことによってはじめて全体がハッキリする。逆にいえば内部から自分の全体を把握することは決してできない。であるがゆえに、他人の意見に耳を傾け、ときに習慣とは違うことにも挑戦して、その結果を自分の「新しいデータ」として眺めてみる。自分の個性は自分自身から脱出することで、はじめて見えてくるものなのです。

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『個性と運命』①

 分析心理学者のユングは運命とはその人の個性が作り出すもので、つまり運命とは個性のことであると言っています。ゆえに自分の個性を受け入れるかどうかで、自分の運命を受け入ることが出来るかどうかが決まる。運命とは動かしがたい自分にとっての事実であり真実です。いくら拒絶しても最後までついて回る。そういった運命を受け入れることができれば、自分と世界はピッタリと歯車が合い安定して動き出す。こう考えると自分の個性を把握して受け入れることが、思いのほか大切であることが分かります。
 自分の個性は自分が一番分かっている。そう思うのは当然です。しかし自分が持つセルフイメージと、他人が自分に対してもつイメージはズレていることが殆どです。そして他人の意見のほうが客観的に事実に近い。つまりそれだけ他人のほうが自分の個性を把握しているということです。ならば自分を他人のように見ることが出来れば、ある程度の距離を取って眺めることが出来れば、自分の個性を正確に把握できる。
 しかし自分から距離を取って眺めることはなかなか難しいことです。「自分を客観的に見る」のは言葉でいうほど簡単ではありません。よって他人の意見は大きなヒントになります。さらに自分がやってきたことを、他人がやったことと過程して眺めるという手もあります。しかしもっと簡単な方法は、日常において創作をし出来た作品を自分なりに分析する。そこで思ってもみない自分の側面を発見すれば、それは今まで見ていなかった自分の個性を認識したことになります。そしてこのような個性があったからこそ、現実がこうなのだという理解も得られる。哲学者ニーチェは「自分の運命を愛しなさい」と言いました。つまりそれは「自分の個性を知りそれを愛しなさい」ということなのです。

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