『アムステルダムへ』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 以前、日本からオランダ経由でパリへ行く途中、アムステルダムで足止めされた事があります。濃霧で飛行機が飛べないということでした。次の便が翌日の午後ということで、夜のアムステルダムに放り出されてしまう。一瞬焦りましたが、宿の問題だけクリアすればアムステルダムを観光できるなと、突発的な事件を好意的に受け入れました。結局ホテルを航空会社持ちで探してくれたので、次の日はアムステルダムの街を見てまわり飛行機に乗りました。
 もし予定通りに飛行機が飛んでいたらそれはそれで良かったでしょう。しかし予定外のことが起こったので、私の記憶の中には美しいアムステルダムの街が残っています。街角のデッサンも10枚ほどしました。このように不確定要素は自分を広げ深めてくれる。予定調和の中だけだと安全ではあるが変化や成長に乏しい。言い換えると失敗の経験から新しい芽が生まれ、やがて大きなものへと結実していく。新しいキッカケが化学反応がおこしてくれる。
 アムステルダムの体験は時間にすると僅かなものでした。しかし心理的には色濃く息づいています。しばしば作品のモチーフにも使うほどです。次は時間をしっかり取って行きたい。突発的な事件が起きなければ、たぶん行くことがなかった場所です。自分では選ばなかったであろうものが自分を豊かにする。これは変な話ですが、常に成長のキッカケは自分の外にあるものとの出会いなのかもしれません。

AUTOPOIESIS 164/ illustration and text by : Yasunori Koga
古賀ヤスノリ サイト→『Green Identity』

『実存的な問い』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 実存という言葉は日常ではほとんど使われません。実存とは哲学の言葉で、社会的な役割を超えた、自己の存在のあり方のことです。そのような深いことを話し合う機会などそうそうないので、この言葉は一般化していません。しかし長く生きていると、実存的な問いが自分に沸き起こることになります。自分は何者であり、どのように生きるべきなのかと言った根本的な問いです。
 実存的な問いを避け、考えないように生きることは出来ます。別の仕事などに忙しくしていたり、何かに没頭していれば考えなくて済みます。しかし逃げていても必ず実存的な問いは追いついてきます。定年後に鬱になるパターンなどはそれを示しています。よって早いうちから小分けにして考えておくと抵抗力が徐々についてくる。
 考えること以外にも、絵や音楽といった芸術によって自己を表現する術があると、それが自然に実存レベルの自己との交信につながる。自分のことを放置して、それ以外のことに没頭するだけでは決して解決しない実存的な問い。この世に自分自身が生きていることの証を、自分自身のなかでつかみ取る。その実感が、自分が生きる世界と精神を、真の意味で安定させるのです。

AUTOPOIESIS 163/ illustration and text by : Yasunori Koga
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『満足を加減する』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり

 本当に望んでいることがあるとします。夢でも理想でもよい。しかしその手前で本当に望んでいるものとは違うもので満足してしまい、夢や理想を追いかける気力を失うということがよくあります。これは昼食の前にお腹が減って、間食を食べてお腹が一杯になり、本当に食べたものが食べられなくなることと理屈は同じです。つまり低いレベルのもので自分を満足させてしまい、本当に得たいもを得る気力を失うということです。
 昼食前にお腹が減っても我慢するのが一番よい方法です。それなら昼食を美味しくとることができる。もしどうしても我慢できないなら、昼食に影響ないよう少量に加減して食べる。この加減が夢や理想を追うときにも必要になります。すぐに手に入るもので自分を完全に満足させてしまうと、夢や理想を追う気力を失う。むしろ不足や不満足こそが活力へと転化する。よって何でも易々と手に入る環境は、ヤル気を喪失させやすいと言えます。
 安易なもので自分を完全に満たす癖がつくと、満足の容量がどんど小さくなっていく。そしうていつしか夢や希望も思い浮かばなくなる。なので、ある程度納得できるものでなければ自分を満たしてはならない、という定理が重要になってきます。もちろんそれだと簡単には自分は満たされない。であるがゆえに、その不足を埋めようとするエネルギーがヤル気に繋がっていく。つまりヤル気や気力は、すぐに手に入るもので自分を満足させないよう「満足を加減する」ことで生まれてくるのです。

AUTOPOIESIS 162/ illustration and text by : Yasunori Koga
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『世界を広げる』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり
 自分自身の世界観が狭すぎると、何事も決めつけが強くなってしまう。そうなると好奇心も弱くなり未来の可能性も狭まってしまいます。しかしその世界観は不自然なのですぐに現実から修正を迫られることになります。もし修正を拒み、狭い世界を無理に維持しようとすれば、敵や悪者が必要になってきます。敵の侵入や悪者の存在によって自分の世界が脅かされる、という物語で「閉じること(自己防衛)を正当化する」しかなくなるからです。
 決めつけが強すぎると好奇心が働かなくなる。すると未来の可能性は閉じられ現状維持に固執するようになります。そして狭い世界観を正当化するために敵が必要になる。いない場合は無理にでも作り出すことで物語を維持する。これは集団であっても同じです。妄想性の入り口はここで、現実からのフィールドバックを取り込み、自分の世界観を広げることでしか、その入口を閉じることはでしません。
 そもそも世界は常に変化しています。人間の細胞だって一年間で全て入れ替わる。自分を固定できているというのは錯覚で、無変化なものがあるとすればそれは情報化されたものだけです。よって情報に依存しすぎると自我が変化を許容できなくなり、過度に防衛的になる。そうならないためには、リアルな現実を自分で解釈して取り込んでいく。そして自分の世界観を常に修正して広げていく。そうすることで変化のある未来に開かれた自我が形成されるのです。

AUTOPOIESIS 161/ illustration and text by : Yasunori Koga
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『正のループ』

古賀ヤスノリ イラスト こがやすのり
 人がなにかを選択するとき、自分が良いと思う方を選ぶのが普通です。しかし自信がないとなぜかダメな方を選んでしまう。求める方を選んで失敗すると傷つくので、それを恐れ回避しようとするからです。つまり自ら失敗を選ぶほうがまだ傷が浅いということです。しかしこの傾向はあまり幸福な状態ではありません。
 自信がないとはつまり、自分を信用していないということです。だから失敗して傷つくことを過度に恐れている。そこで傷つくよりも自ら失敗を選ぶ。転ぶよりも自ら倒れるほうが傷は浅いから。そうして本当は求めていない方を選んでいく。これは一種の自己防衛の心理です。
 この傾向を正常化させるためには自信が必要です。しかし自信をつけるには、自分の選択による結果が良いものになる必要があります。よって、本当に求めるものを避けている間は自信がつかない。この負のループから解放されるためには、ただ一つ、勇気を出して欲する方向を選択すること。そうすればもし失敗したとしても、勇気を出せたという事実が、新しい展開に繋がっていく。ここに正のループが生まれるのです。

AUTOPOIESIS 160/ illustration and text by : Yasunori Koga
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